カテゴリー「映画・テレビ」の記事

2025年7月16日 (水)

スーパーマン (2025年版) 

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★★★☆

製作:2025年 米国 上映時間:129分 監督:ジェームズ・ガン

 半年ものあいだ心待ちにしていたスーパーマンの新作が、ついに公開された。スーパーマン命のファンとしては見逃すわけにはいかず、胸を躍らせて劇場へと足を運んだ。

 本作は、クリストファー・リーヴ版から数えて実に9作目にあたる。今回スーパーマン役に抜擢されたデヴィッド・コレンスウェットは、193cmの長身に加え、その風貌もスーパーマン像に実にふさわしい。加えて、ザック・スナイダー版では姿を消していた“赤のパンツ”やお馴染みのテーマ曲も復活。スーパーワンちゃん、召使いロボット、新たな超人まで登場し、ファンにはたまらない演出が目白押しだ。

 だが、惜しむらくは物語の芯に深みがない。シリーズ物ゆえ、スーパーマンの誕生やロイスとの出会いを省略するのは理解できるが、レックス・ルーサーの新技術や戦略の描写が乏しく、敵役や新超人たちの登場にも伏線がない。そしてテーマとなるべく「あの戦争」についての描写や説明が殆どないのは一体なぜであろうか。
 また、何よりクラーク・ケントの存在が希薄なのがとても寂しい。スーパーマンは、クラーク・ケントという仮面を通してこそ人間性を帯びる存在であり、ロイス・レインとの関係もその中でもっと輝くはずだ。

 それにしても、キャストたちの演技は素晴らしかった。スーパーマン、ロイス、ルーサーはいずれも的確な配役と、安定感ある演技で魅了した。ただ、クラークの育ての両親にもう少し存在感があれば、ドラマの輪郭はより鮮明になっただろう。

 米国では大ヒットとのことだが、観終えた後には何とも言えぬ物足りなさが残る。スーパーマンはあまりに強大であるがゆえに、敵となりうる存在が限られている。結果としてクリプトナイトや彼自身のクローンも含め、毎度クリプトン星由来の脅威ばかりが繰り返され、物語は徐々に閉塞感を帯びる。

 マンネリ打破のために、新たな超人やロボット、怪獣などを投入するのも無理はないが、そうした試みは時として物語の本質を見失わせ、単なるアクションの羅列に堕しかねない。

 思えば、心を震わせるスーパーマン映画は、1978年の『スーパーマン』と1980年の『スーパーマンII/冒険篇』で頂点を迎えていたのかもしれない。もしこれらを凌ぐ作品を創るとすれば、続編ではなく、スーパーマンという神話をゼロから見つめ直し、時代に応じた再構築と新技術による革新が求められるだろう。

評:蔵研人 

 

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2025年7月10日 (木)

リバティ・バランスを射った男

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★★★★

製作:1962年 米国 上映時間:123分 監督:ジョン・フォード

 まだ小学生だった頃、課外授業の一環で渋谷の映画館に足を運び、初めて本作を観た記憶がある。物語の細部はすでに朧げだが、ただ一つ、あの結末――「リバティ・バランスを射った男」が、実は誰であったのか――という劇的な真実だけは、今も鮮烈に脳裏に焼きついている。

 監督がジョン・フォードとくれば、当然ながら主演はジョン・ウェイン――と思いきや、本作ではジェームズ・ステュアートとの堂々たるダブル主演という形をとっている。形式こそ西部劇だが、銃声と馬の蹄が鳴り響くばかりの単純な活劇ではなく、むしろ社会の矛盾や変革を静かに描いた重厚なドラマであった。

 物語は、かつて一世を風靡した西部の英雄ランス・ストッダード(ステュアート)が、年老いて故郷に戻り、かの「リバティ・バランス事件」の真相を新聞記者に語り始めるという、回想形式で進行する。フォードはこの構成を巧みに用い、過去と現在を行き来することで、時代の変遷と共に失われゆく「神話」と「真実」の境界を浮かび上がらせる。つまり、本作は単なる過去の美談の再話ではなく、語り手自身が時代の中でどのように自己を位置づけようとしているのかという、メタ的な問いも孕んでいる。

 演出面においても、フォードの老練な手腕は随所に現れている。特に構図の扱いには注目すべき点が多い。荒野を背景に人物を対峙させるロングショットでは、人間の小ささと時代の大きな流れが対照的に描かれ、酒場や法廷といった室内シーンでは、光と影のコントラストが人間関係の緊張や心理を巧みに表現している。モノクロ撮影の選択も、この光と影の使い方をより劇的にし、登場人物の内面や物語の二重性――真実と虚構、法と暴力――を視覚的に強調していた。

 さらに美術も印象的で、装飾の少ない質素なセットが、当時の西部の質朴さと荒涼とした雰囲気をリアルに伝えてくる。時代が移ろう中で、建物や衣装が静かに変化していく細部の描写も、本作が「個人の物語」であると同時に「アメリカの歴史」を語っていることを示している。

 またある意味で明治維新とともに消えていった武士のように、民主主義に目覚めた米国西部での、ガンマンたちの衰退の運命を描いているようにも見える。だからカウボーイのトム(ウェイン)も、敵対する悪人のリバティ(マーヴィン)も、いわば“過ぎ去るべき旧世界”の象徴として、どこかで繋がっていたのかもしれない。

 その敵役リバティ・バランスを演じるのは、当時“悪役専門”として鳴らしたリー・マーヴィンだ。彼の演技には、ただの凶暴さを超えた、どこか翳りを帯びた陰影と渋みが感じられた。暴力を振るうしか自己表現の手段を持たない存在としての哀しさが、画面の端々に滲んでいた。

 本作は、ジョン・ウェインとジョン・フォードがタッグを組んだ最後の西部劇としても知られている。アカデミー賞にノミネートされたのも頷ける完成度で、いま改めて観ても、決して古びることなく、むしろ時を経て深みを増した趣すら感じられる。

 ストーリーそのものは一見すると通俗的に映るかもしれないが、何より登場人物たち――ウェイン、ステュアート、マーヴィン、そしてヴェラ・マイルズ――が、それぞれの役どころに見事に溶け込み、物語に確かな輪郭を与えていたのが印象的だった。

 また余談ながら、リバティの手下のひとりとして、のちに『夕陽のガンマン』で名を馳せるリー・ヴァン・クリーフが出演していたのを見逃さなかった。あの冷徹な目元が、既にスクリーンの片隅で、不穏な輝きを放っていたのだから、なるほどと頷いてしまったのである。

評:蔵研人

 

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2025年7月 1日 (火)

信長協奏曲 (映画)

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★★★☆

製作:2016年(日本)/上映時間:126分/監督:松山博昭

 原作は石井あゆみによる同名マンガ。第57回小学館漫画賞(少年向け部門)を受賞し、「全国書店員が選んだおすすめコミック2012」でも第7位にランクイン。2016年9月時点で累計発行部数は450万部を超えるなど、まさに一大ヒット作となった。アニメ、実写ドラマ、そしてこの映画版と、三つのメディアで同時展開された点も異例だ。

 本作はその実写ドラマ版の続編にあたり、キャストも続投されているため、ドラマ未視聴の観客には若干ハードルが高い部分があるかもしれない。しかし、そこは“織田信長”という誰もが知る歴史上の人物の物語。背景が多少分からずとも、大筋は自然と飲み込めてしまうだろう。

 物語は、現代の高校生・サブローが突如戦国時代にタイムスリップし、瓜二つの織田信長と出会うところから始まる。気弱な本物の信長は、自分の代わりに“信長”として生きてくれと頼み、姿を消してしまう。
 歴史の知識もなく、戦を嫌うサブローは、「平和な世を作りたい」という思いだけで、この時代で信長として生きることを決意する。しかし彼は、本能寺の変で信長が死ぬ運命にあることさえ知らないのだった……。

 この設定だけでも十分ユニークだが、本作の面白さは「歴史をなぞるのか、それとも変えるのか?」という問いに終始するところにある。歴史の枠を超えた展開、パラレルワールド的な視点、そして主人公たちの心情の揺らぎが、物語に奥行きを与えている。

 なかでも、小栗旬演じるサブローと、柴咲コウ演じる帰蝶との戦国風ラブストーリーは、戦国という時代背景の中にささやかな人間ドラマを刻んでおり、終盤のどんでん返しと相まって、観終わった後には不意に胸が熱くなる。単なる歴史フィクションではなく、「信長とは何か」「生きるとはどういうことか」を問いかける一作だった。

評:蔵研人

 

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2025年6月19日 (木)

エイリアン・レイダース

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★★★
製作:2008年 米国 上映時間:85分 監督:ベン・ロック

 タイトルの"エイリアン"につられてDVDを購入してしまった。もちろんB級作品であることは承知のうえだが、他の偽エイリアン作品に比べると比較的評価が高かったからである。
 舞台はアリゾナ州のあるスーパーマーケット、というより始めから終わりまでの全編がこの中での出来事に終始する。突如スーパーの閉店間際に侵入してくる凶悪なテロリストたち。そして数人が射殺され、残った従業員と客たちが人質となる。

 とここまではよくあるパターンの展開なのだが、このテロリストたちは、なんと地球に侵入してきたエイリアン討伐隊だったのである。そしてこのスーパーがエイリアンの拠点であることを突き止めて、従業員や客たちがエイリアンに寄生されていないかを調査しに来たらしいのだ。……とここらあたりまではハラハラドキドキ緊張感の漂うストーリーに魅せられていたのだが、そのあとが急に雑な展開となってしまったのが非常に残念である。
 
 そもそも画面が暗すぎてよく見えないし、エイリアンの本体もほとんど出現しないのだ。これでは何のためにタイトルで「エイリアン」を名乗ってるのかわからない。創り方としては『SFボディ・スナッチャー』をヒントにした作品だと思うが、『SFボディ・スナッチャー』では町全体がエイリアン化しているという状況に対して、本作は逆にエイリアンの生き残りが数体で、それを調べて退治するという設定である。

 そしてラストの「落ち」は、思った通りまさにB級ホラーの常道手法だったね。まあいずれにせよ、ケチ臭いエイリアンなど無視し、"テロリスト籠城アクション"仕立てだけに徹したほうが面白かったと感じたのは果たして私だけであろうか。

評:蔵研人

 

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2025年6月 8日 (日)

バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3

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★★★★
製作:1990年(アメリカ)|上映時間:119分|監督:ロバート・ゼメキス

 タイムトラベル映画の金字塔ともいえる超有名シリーズ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』三部作の完結編である。もちろんシリーズの中で一番完成度が高かったのは第一作だと思うが、どの作品も魅力にあふれており、三作すべてを絶賛したい。
 ただ特にこの第3作は、西部劇仕立てという大きな趣向の変化があり、前2作とはまた違った視点で楽しめるところが新鮮だった。そして、美人教師クララとドクとのラブストーリーにも心を奪われた。今作の主役はマーティーではなく、ドクと言っても過言ではないだろう。

 また、マーティーが「クリント・イーストウッド」と名乗った瞬間から、脳内ではあの『夕陽のガンマン』のメロディーが流れ出し、思わず「あの決闘シーン」が蘇ってきた。すると実際に映画の中でそのシーンがパロディーとして再現されるではないか。この粋な“サービス”には、思わずニヤリとしてしまった。こうした細かな遊び心も、このシリーズの魅力のひとつだろう。

 それにしても、クララを演じたメアリー・スティーンバージェンは本当に素敵な女優だ。当時は37歳ほどだったと思うが、2025年現在では72歳。それでも近年の写真を見る限り、歳を重ねても凄く品があって魅力的だ。これではドクが西部時代に残りたくなるのも無理はないよね。

「めでたしめでたし」がこんなに嬉しかった映画も、実に久しぶりだった。シリーズの有終の美を見事に飾ってくれた一作といえよう。

評:蔵研人

 

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2025年5月 9日 (金)

ペギー・スーの結婚

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★★★☆
製作:1986年 米国 上映時間:103分 監督:フランシス・フォード・コッポラ

 タイムトラベルファンのくせに、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と並ぶこの「タイムトラベルのレジェンド作品」を今頃になって観たのである。もちろんそれを知らなかったわけでもなくDVDも所持していたのだが、いつでも観れると油断しているうちに10年以上経っていたのだった。40年近く昔の映画だが、まったく色褪せずに楽しめたし、ラストも想像通りだったにも拘らず涙が溢れて止まらなかった。またなんと監督はあのコッポラで、主演はキャスリーン・ターナーとニコラス・ケイジという豪華なキャストなのだ。そしてキャスリーン・ターナーは、本作での演技が認められ第59回アカデミー賞で主演女優賞にノミネートされている。

 ストーリーは高校時代の同窓会ではじまり、夫との離婚を決意した中年女性ペギー・スーが会場で卒倒するのだが、そのまま高校時代にタイムスリップしてしまう。そこで彼女は昔同級生だった夫や友人たちや、父母や祖父母たちとめぐり逢い、過去の人生を見つめ直してゆく。また本作で夫役を演じたニコラス・ケイジは、2000年に製作された本作と似たような作品『天使のくれた時間』で主役を務めていたためか、なんとなく印象が重なってしまった気がする。
 
 それにしてもネットの評価は意外と低いので驚いた。たぶん話のほとんどが想像できてしまう範囲だったこと、ラストにどんでん返しが用意されていなかったこと、夢落ちの可能性もあったこと、主役の二人が高校生役にはかなり無理があったなどが影響したのだろうか。まさにその通りなのだが、どうしてもタイムトラベル系の作品には甘くてね、てへへへ……。
 

評:蔵研人

 

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2025年4月18日 (金)

決算!忠臣蔵

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★★★☆
製作:2019年/日本/上映時間:125分/監督:中村義洋

 あの有名な『忠臣蔵』を、まさかの「経費」という切り口から描いた異色の時代劇コメディ。これまで何度も映像化されてきた忠臣蔵だが、本作はコメディの装いの中に、歴史や人間の本質に対する皮肉や風刺を織り交ぜた、非常にユニークなアプローチが印象的だった。
 最近の時代劇は「超高速!参勤交代」以降、シリアス路線よりもコミカルな演出が主流になりつつあり、殺陣シーンなども控えめな傾向にある。本作もその流れにある一作だが、事実に沿って描かれているし、単なるおふざけで終わらない仕掛けも随所に見られる。

 特に、討ち入りまでにかかった経費を現代の金額に換算してリアルタイムで表示する手法は斬新で、赤穂浪士たちの行動に現実味を持たせている。また、討ち入りの決断に至るプロセスも、忠義や正義に燃えるというより「金と体裁と面子」に振り回される姿が滑稽かつ人間的で、むしろ“あり得たかもしれない真実”を想像させるほどだった。
 とはいえ、終盤の盛り上がりにはやや物足りなさが残った。討ち入りそのものの描写やその後の処遇がばっさりと省略されているため、クライマックスの高揚感やカタルシスに欠けていたのは否めない。あくまで「収支決算」にこだわった構成ゆえとはいえ、忠臣蔵という素材の持つ「ドラマ」をもう少し引き出してもらいたかったね。

 またキャスト面では、ダブル主演の堤真一と岡村隆史が役どころにしっかりとハマっており安定感はあったものの、妻夫木聡や石原さとみなど豪華俳優陣の個性が活かしきれていなかったのは少々もったいない感があった。
 とはいえ、当時の金銭感覚や経済事情、そして武士の生活実態に目を向けさせてくれたという点では非常に興味深く、学びのある作品だったことは間違いない。さらに赤穂浪士=英雄という固定観念に一石を投じる、時代劇としての「新解釈」に拍手を送ってもいいだろう。


評:蔵研人

 

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2025年4月 4日 (金)

CUBE 一度入ったら、最後

Cube

★★★☆
製作:2021年 日本 上映時間:108分 監督:清水康彦

 目を覚ますと、そこは立方体の箱のような部屋だった。部屋の中には前後左右に一つづつ扉がついている。その扉の向こうは何もない部屋とトラップの仕掛けられている部屋がある。うっかりトラップ部屋に入ってしまうと、炎・レーザー・刃物・弓矢・毒ガスなどの集中砲火を浴びて生きては戻れない。
 オープニングで体に四角い穴を開けられ死亡した最初の男を演じた柄本時生を除くと、菅田将暉・杏・岡田将生・田代輝・斎藤工・吉田鋼太郎の6人が主な登場人物である。多少の回想シーンはあるものの、舞台もほぼキューブの中だけなので、この6人だけの舞台劇のような映画なのだ。

 すでにタイトルで気付いていると思うが、ここまで話せば1997年に製作されたカナダ映画『CUBE』のパクリじゃないのと勘づくだろう。だがパクリではなく、『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリ監督が協力をした公認リメイク作品なのである。
 またオリジナルと共通しているのは、閉じ込められた男女が6人。それぞれが面識もなければ職業、年齢、性別など何の繋がりもない。ただ目を覚ますとその部屋にいた。そして部屋には死と隣り合わせの危険なトラップが仕掛けられており、簡単に外へは出られない状況。とそれだけが共通点であり、その他の展開やラストシーンは全く別物なのでオリジナルを観ていても全く気にならないだろう。

 この謎の立方体から逃れるヒントは、部屋を繋ぐ扉に刻まれた暗号のような数字なのだが、数学に弱い私にはチンプンカンプンであった。こうしたパニックものの定石通り、仲間割れが始まったり、トラップの犠牲になったりで、少しづつ仲間が死んでゆく。
 主役は理系のエンジニアで前述した暗号を解いて行く菅田将暉なのだが、ヒロインであるはずの杏の存在感がかなり希薄であった。ただこの疑問はラストシーンで理解できるのだが、登場キャラの人間模様が希薄で、閉じ込められた理由やキューブに関する謎も不明のままエンディングとなってしまう。そこそこ面白い割には、かなり評価が低い理由は、たぶんそのあたりにあったのかもしれないね。


評:蔵研人

 

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2025年3月23日 (日)

LOOP/ループ -時に囚われた男-

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★★★★
製作:2016年 ハンガリー 上映時間:95分 監督:イシュティ・マダラース

 麻薬密売人のアダムが、ボスから預かった大量の麻薬を持ち逃げしようとするところから始まる。だが一緒に逃げようと思っていた恋人のアンナが妊娠してしまい、計画変更を余儀なくされる。ところがなぜか、アダムの企みに気付いたボスが部屋へやってきて、アダムを殺害してしまうのだ。そのうえ逃げていたアンナまでも、偶然ボスの車に撥ねられて死んでしまうのである。
 ここまでが大きな1ループで、何度も同じシーンを繰り返すことになる。もちろんこの連鎖を断ち切ろうとするアダムの行動変化によって、枝葉的な部分は少しずつ変化するものの、結果的には何度もアダムとアンナが死亡を繰り返すことになる。

 部分的には突っ込みどころがいくつもある作品であるが、そもそもタイム・ループそのものが荒唐無稽なことなので、ここでいちいち目くじらを立てることもないだろう。それよりも、どうすればこのループから抜け出せるのか、アダムとアンナは無事生還できるのか、といった興味が深々と湧いてくるのだ。
 そして終盤はそれらを見事に収束して、ほぼ満足な結末で締めくくっているではないか。ただなぜタイム・ループが起こったのかは、解明されないままなのだが、オープニングとラストに登場する地下鉄内のホームレスがそのカギを握っているような気がする。これもなかなか味のよいエンディングだ。

 それにしても欧州のタイム系映画は、似たような雰囲気の作品が多いよね。例えばスペインの『TIME CRIMES タイム クライムス』やドイツの『ザ・ドア 交差する世界』などにその傾向が見受けられ、いずれも私の好きな映画であることに変わりはない。

評:蔵研人

 

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2025年3月13日 (木)

TUBE チューブ

Tube

★★★
製作:2022年 フランス 上映時間:91分 監督:マチュー・テュリ

 タイトルといい密室でのトラップといい、まさにあの『キューブ』そっくりだ。ただ原題は『Meandre』で「蛇行」という意味のようである。
 とにかく始めから終わりまで、サッパリ意味が分からない。そもそも女が人っ子一人いない道路に寝転んでいるところからスタートするのだが、自殺をしようとしたのだろうか。それにスタンド迄10キロ以上あるこの場所に、どうやって来たのだろうか。何も説明がないまま、通りかかった車に助けられるのだが、運転手は逃亡中の殺人鬼であった……。
 カーラジオのニュースから男が殺人犯であることがバレると、車が急停止して全て消失してしまう。しばらくしてやっと女が気を取り戻すと、そこは四角い狭い箱のような場所で、宇宙服のようなものを着せられ光る腕輪を嵌められているではないか。

 箱の中の小さな窓のようなものが開き、女が中に入ると急に扉が閉まってしまう。なんとその先は細くて狭いチューブのような空間が延々と続いているのだった。そこには吊天井、火炎地獄、水地獄、硫酸地獄、ギロチン地獄、腐乱死体に怪物の登場と、様々なトラップが仕掛けられているのだ。一体ここはどこなのだ、誰が何の目的でこんなものを創り、人を閉じ込めるのだろうか。まさにこの展開はゲームそのものではないの。
 全く意味不明のまま、女はこの謎のチューブ空間の中を這いずり回るのである。果たして彼女はここから脱出できるのであろうか、とチューブだけの退屈な展開に飽き飽きしながらも、ラストの種明かしだけを期待しながら我慢と辛抱の時間が過ぎて行く。

 だが結局は何にも説明がないままのエンディングとなり、時間の無駄遣いをしてしまったことを悟る。途中チューブの中のスクリーンに女の生まれたときからの映像が走馬灯のように映し出されたり、死んだ娘が登場したので、てっきりここは「死後の世界」なのだろうと考えてしまった。ところがどうもそうでもないようなのだ。オープニングで「デカい光が空に浮かんでいる」という言葉が飛び交っていたことに気が付いたからである。私の勝手な想像であるが、ETみたいな影も映っていたし、もしかしてチューブとはUFOの中だったのであろうか。

 
評:蔵研人

 

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