時の家
著者:鳥山まこと
第174回(令和七年下半期)芥川賞は、鳥山まこと氏『時の家』と畠山丑雄氏『叫び』の二作同時受賞となった。さっそく文芸春秋三月特別号を手に入れ、まずは『時の家』から読み始めた。
もともと芥川賞そのものに強い関心があるわけではない。ただ、私は「時間」を扱った作品に目がないため、タイトルの“時”に惹かれて本作を読み始めたのである。しかし期待に反し、本作は時間テーマとはほぼ無縁だった。ここでいう“時”とは、取り壊しを目前にした古い家に染みついた、歴代の住人たちの「思い」の堆積を指している。
部屋の構造、汚れ、傷跡から住人の感情を丹念に掬い上げる筆致は、建築士としての著者の経験があってこそ可能になったものだろう。その繊細な感性、巧みな言語操作、そしてこれまで誰も書かなかった視点の発掘は、確かに脱帽に値する。
しかし、選考委員の数名も指摘していたように、前半──いや終盤近くまで続く読みにくさには、正直辟易した。何度も本を閉じようと思ったが、評価の高い選者の意見を信じ、なんとか最後まで読み通した。
会話がほとんどない点はまだ許容できるとしても、登場人物に個性が乏しく、藪・圭・脩・緑といった一文字名ばかりで、名前としての識別性も弱い。そこまではまだ目をつぶれる。だが、比喩や言葉遊びに耽溺しすぎており、また細部の描写に執着するあまり、作品全体の輪郭が霞んでしまっている。たとえば次の一節である。
────圭さんの口から出てゆく言葉たちはいつもその深いところに溜まったものたちを上滑りする。上層にある部分だけが出ては入ってまた出て頻繁に入れ替わりし、下層の部分はいつまでも動かずに止まったまま、大事なことほど底に溜まって冷え切って、凝固し言葉になって出てゆかない。────(文芸春秋三月特別号より引用)
ここまで執拗に比喩を重ねる必然性が本当にあるのだろうか。また全体を通して、段落も異様に長く、読者への配慮が欠けている。さらにストーリー性も心理描写も希薄で、まるで取扱説明書を延々と読まされているような感覚に陥る。終盤になってようやく小説らしい息遣いが現れるものの、そこに至るまでの道のりがあまりにも長すぎたのではないだろうか。
評:蔵研人
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