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2025年9月の記事

2025年9月30日 (火)

伊予小松藩会所日記

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原典解読:北村六合光  著者:増川宏一


 現在の四国小松町に僅か1万石の『伊予小松藩』という小藩が存在していた。本書は小松町に残されており、藩により150年以上に亘って書き綴られてきた膨大な『会所日記』を読み解き、当時の人々の生きざまなどを分かり易く現代風にまとめたものである。

 藩の人口は約1万人、正式な武士は僅か数十人という、現代なら謂わば小企業なみの苦しい台所事情と言ってもよいだろう。従って農民や商人からの借金漬けに喘ぎ、参勤交代の費用負担に苦しみ、幕末の異国船打ち払いの際にも老朽化した武器しか持ち合わせていなかった。

 第一部では、そんな窮乏した藩の成り立ちと概略や財政状態、武士たちの俸禄などに詳しく触れている。
 第二部では、領民たちの暮らしについて丁寧に解説しているが、その内容がなかなか面白い。駆け落ちや、不倫や情死といった生々しい出来事や、目明しと泥棒、盗品の回収などについての裏情報も綴られており、当時の生活環境などが臭ってくる。

 さて時代劇と言えば、華やかな殺陣がつきものだが、江戸時代における実際の武士たちは、刀を佩いても戦わず、専ら事務机の前で算盤を弾く日々だったようである。
 いずれにせよ、歴史は「出来事」ではなく、「暮らし」であると気づかされた一冊であったことは否めない。

評:蔵研人

 

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2025年9月27日 (土)

刻刻 全8巻

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著者:堀尾省太

 活発な女性・佑河樹里は、誘拐された兄と甥を救うため、「止界術(しかいじゅつ)」という不思議な術を操る祖父とともに、時間が静止した世界---“止界”へと踏み込む。止まった時の中で救出を果たすつもりだったが、それは実愛会という新興宗教団体が仕掛けた罠であった。

 止界の中には、樹里と祖父のほかにも、時間の止まった世界で自由に動ける実愛会の信者たちが大勢潜んでいた。絶体絶命の状況の中、祖父の瞬間移動術と、「神ノ離忍(カヌリニ)」と呼ばれる管理人の怪物的存在の登場によって、樹里たちは辛くも危機を脱する。そして、この永遠に終わらない一日の世界で、佑河家と実愛会の、終わりなき戦いが幕を開ける。

 作画や作品全体の雰囲気には、どこか岩明均の『寄生獣』を想起させるものがある。ただし、『刻刻』の物語の大半は同じ舞台での戦いに終始しており、『寄生獣』のように強烈なテーマ性や普遍的メッセージが込められているわけではない。

 そのため、総合的な完成度では『寄生獣』には及ばないものの、「止界での戦い」に特化したユニークな設定と、全8巻という手頃なボリュームには好感が持てる。しかしながら、クライマックスにおける樹里の止界脱出方法にはやや唐突さがあり、物語の締めくくりとしては力不足に感じられたのが惜しまれる。


評:蔵研人

 

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2025年9月24日 (水)

カラダ探し

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★★☆
製作:2022年 日本 上映時間:102分 監督:羽住英一郎

 逢魔ヶ刻に語り継がれる学園怪談、「カラダ探し」。ただの都市伝説と笑い飛ばしていたはずが、ある日、6人の高校生がクラスメイト・三神遥の幽霊に「私のカラダを探して」と懇願される。その声に応じたのは、明日香、高広、留美子、翔太、理恵、健司の6人だった。

 その夜から、彼らは異様な儀式の渦中に巻き込まれてゆく。舞台は、夜の闇に沈む校舎。そこに現れるのは、血に塗れた恐怖の化身「赤い人」。バラバラにされた遥の体の一部を見つけるたびに、彼らは追われ、襲われ、殺され、そしてまた朝に戻る。死の連鎖と時間のループ。それはまるで、生きながら悪夢を何度も見せられているような感覚だ。

 なぜこの6人が選ばれたのか──。いじめや無視といった陰影を抱えた彼らの内面には、それぞれ秘密や罪、後悔といった澱のような感情が沈んでいる。物語が進むにつれ、それらの過去が静かに浮かび上がり、怪異との接点をかすかに照らしていく。

「赤い人」の存在は不気味で、圧倒的な暴力とともにスプラッター的惨劇を繰り広げるが、その恐怖の持続力にはやや疑問が残る。同じ夜を繰り返す構造が、次第に新鮮さを失い、物語全体に単調さが漂ってくるのも否めない。

 とはいえ、最後まで観る価値はあるかもしれない。エンドロール後には、思わず息を呑むようなどんでん返しが用意されている。決して早まって席を立つべきではない。


評:蔵研人

 

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2025年9月20日 (土)

信長 全五巻

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原作:工藤かずや 作画:池上遼一

 全五巻という手頃な長さに収められたこの信長伝は、池上遼一の精緻な筆致によって、まるで一幅の絵巻物のような美しさをたたえている。池上遼一といえば、若き日に水木しげるのアシスタントを務め、つげ義春とも親交があったと伝えられる。その代表作には『男組』、『サンクチュアリ』、『HEAT-灼熱-』などがあり、いずれも本作と同様に原作付きの作品である。

 さて、織田信長といえば、戦国時代を駆け抜けた英傑にして、明智光秀の謀反によって本能寺に倒れた、日本史上最も知られた武将の一人である。その性格を端的に表す逸話として、鳴かぬホトトギスを題材にした三英傑の句がある。豊臣秀吉の「鳴かぬなら鳴かせてみよう時鳥」、徳川家康の「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」に対し、信長は「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」と詠まれたとされ、苛烈で短気な気質として知られてきた。

 だが、本作の中に描かれる信長像は、ただ激情に突き動かされた独裁者としてではなく、冷静な戦略眼と深い思慮を併せ持つ複雑な人物として立ち現れる。比叡山焼き討ち、長島一向一揆の制圧、本願寺との戦いなど、しばしば「非情」と評される出来事の背後に、彼なりの理があったことが、作中からは見て取れる。

 物語は、信長が一躍名を馳せた桶狭間の戦いから始まる。ゆえに、いわゆる“うつけ者”と称された青年期の描写は省かれているが、歴史に名を刻む数々の合戦や事件は克明に描かれており、単なる伝記というより、史実に基づいた一種の歴史書として読むこともできる。その意味で、本作は娯楽であると同時に、読者に改めて歴史への眼差しを向けさせる力を持っていると言えよう。

評:蔵研人

 

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2025年9月16日 (火)

俺たちの箱根駅伝

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著者:池井戸潤

 企業小説の旗手・池井戸潤が、今度は箱根路へと筆を向けた。なんと舞台は、いつもの銀行でも商社でもなく、まさかの箱根駅伝なのだ。いつしか本書の評判の高さが耳に入り、「これは読まねば」と、私は上下巻にわたる分厚いページをむさぼるようにめくり始めた。

 本作の主役は、予選落ち校から選抜された“学生連合チーム”である。記録にも記憶にも残らぬ、名ばかりの寄せ集め軍団。モチベーションの上がらぬまま、最下位常連の座に甘んじてきた集団だったが、ある男が旋風を巻き起こす。新監督・甲斐真人――過去には駅伝ランナーとして名を馳せたものの、いまや35歳、商社マンからの転身であった。だが経験も実績もない“素人監督”に、周囲の冷笑と反発が降りかかる。

 だが、彼は宣言する――「三位以上を目指す」と。

 上巻では、監督方針に反発する選手たちの心を、主将・青葉隼斗が一つに束ねてゆく姿が描かれる。また箱根駅伝を中継するテレビ局・大日テレビの舞台裏にも、もう一つのドラマが息づき、社内抗争の火花が散る。いずれも悪役が現れ、組織をかき乱すあたり、やはり池井戸節が冴えわたる。

 そして下巻――箱根駅伝の往路・復路、全10区間がまるで実況中継のような臨場感で描かれる。描写の鮮やかさは圧巻で、選手一人ひとりの過去、葛藤、そして「走る」ことに懸けた想いが、まるで風のように胸を駆け抜ける。

 途中、思わぬアクシデントもあり、物語は一気に緊張の糸を張りつめてゆく。手に汗握る展開に、気づけば自分自身がコースを駆けているかのような錯覚すら覚えてしまう。

「がんばれ、学生連合チーム!」

 思わず声に出したくなる。ページをめくる指が止まらず、読了の瞬間には爽やかな風が胸を通り抜け、熱い涙で頬が濡れてしまった。これは、ただの駅伝小説ではない。夢なき若者たちが、走ることで夢を手にしていく物語。苦しみの先にある歓喜が、確かにそこにあるはずだ。

 ストーリー展開が予定調和過ぎて、現実性が薄いと感じる読者もいるかもしれない。だがそのドラマチックすぎる展開こそ、池井戸流エンタメの醍醐味であり、スポーツを小説として面白く読ませるために必要な調味料ともいえるだろう。
 いずれにせよ、久し振りに心震える一冊だったことは確かである。これはきっと映画になるだろう。スクリーンの中で、彼らの汗と涙が光り輝く日を、私は今から心待ちにしている。

評:蔵研人

 

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2025年9月11日 (木)

続・悪名

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★★★☆
製作:1961年 日本 上映時間:93分 監督:田中徳三

 今東光の原作をもとに、勝新太郎が朝吉を、田宮二郎がモートルの貞を演じた本作は、今から実に64年前に公開された。主演のふたりは、共に夭折し、いまはすでに鬼籍に入って久しい。
 それにしても若き日の勝新と田宮の鮮烈さは言うまでもないが、朝吉の妻役を演じた中村玉緒の可憐さには、思わず目を奪われる。単に若いというより、「可愛らしすぎる」と言いたくなる愛嬌がある。興味深いことに、勝新と玉緒はこの共演をきっかけに、現実の夫婦となっている。

 本作は前作『悪名』の純然たる続編であるため、前作を未見の私には、物語の整合性を把握するのがやや難しかった。
 ヤクザの世界を描いてはいるものの、後年の東映ヤクザ路線とは趣を異にする。暴力描写も控えめで、喧嘩はもっぱら素手による殴り合いが中心。刃物が使われる場面は、モートルの貞がチンピラに刺される、あの問題シーンただ一つに限られていた。

 それにしても、物語の中心人物のひとりが、あまりにもあっけなく命を落とす展開には釈然としないものがある。また、敵対する組との抗争も途中で宙ぶらりんになってしまったような印象を受けたのはなぜだろう。原作を未読なので断言は避けるが、もし原作通りであるならば、それも致し方ないのかもしれない。

 ラストシーンでは、朝吉が戦場で敵の攻撃から逃げ惑いながら、「戦争とは、国と国との縄張り争いや。けど、こんなゴツい出入りでは、わいら虫けら同然や」と自嘲気味に呟く。そして、彼が果てしない闇と泥濘の中を進んでいく姿は、戦争とヤクザの世界を重ね合わせたような寓意に満ち、強く印象に残るシーンであった。

 本作のヒットを受けて、翌年には『新・悪名』が制作される。田宮は、亡きモートルの貞の弟・清次として再登場し、シリーズはその後も続いていく。
 本作以外の『悪名シリーズ』にも手を伸ばしてみたいが、戦争シーンを見たからか、同じく勝新主演の『兵隊やくざシリーズ』にも、俄然興味が湧いてきた。


評:蔵研人

 

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2025年9月 7日 (日)

完全なる白銀

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著者:岩井圭也

 女性ふたりがアラスカ山脈の盟主、デナリ(旧名マッキンリー)に挑む——その冒頭からすでに、読者は厳寒の孤高の世界へと引き込まれる。本作は、冒険と信念、そして喪失をめぐる魂の旅を描いた、本格山岳小説である。

 デナリの標高は6190メートルに達し、七大陸最高峰のうちのひとつとして知られる。しかしこの山を特異な存在たらしめるのは、標高以上にその緯度の高さに起因する低気圧・極寒・過酷な気象条件であり、ヒマラヤの七千メートル峰にも匹敵するとされるその厳しさである。氷河に穿たれたクレバス、45度の雪壁、切れ落ちる尾根、そして容赦なき-30℃の風——それは自然の猛威ではなく、もはや“試練”と呼ぶにふさわしい。

 この苛烈な地に挑むのは、日本人の写真家・藤谷緑里と、イヌイットの女性・シーラ・エトゥアンガ。彼女たちをこの地へと導いたのは、二人の共通の親友、登山家リタ・ウルラクの存在である。
 リタは「完全なる白銀を見た」と言い残して消息を絶った。やがて心ないマスコミは、彼女の登頂を疑い、敬意を奪い去る。リタの名誉と真実を取り戻すため、緑里とシーラは冬のデナリに足を踏み入れたのである。

 本作は、登頂という単純な成果にとどまらず、命の危機と対峙しながら浮き彫りになっていく、二人の信頼関係の揺らぎや葛藤をも丁寧に描いていく。暴風雪、濃霧、滑落、高山病——極限状況の連続に、読者の心拍までもが徐々に速まっていくだろう。

 また、現在と過去とを織り交ぜる巧みな構成が、本作に立体感を与えている。緻密に重ねられた回想の層が、登山という行為の裏に隠されたそれぞれの人生と、リタへの想いを浮かび上がらせる。息をのむようなサスペンスの連続でありながら、ページをめくるごとに静かに胸を打つ——そんな稀有な読書体験をもたらしてくれる作品である。

評:蔵研人

 

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2025年9月 2日 (火)

『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』

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★★★★
製作:2025年 日本 上映時間:155分 監督:外崎春雄


 TVアニメ版の放映をいくら待っても音沙汰なく、焦燥の念を募らせていたところ、予想外にも劇場版が先陣を切る形となった。やむを得ず足を運んだ劇場で、私は初めて大きなスクリーン越しに『鬼滅の刃』の世界へと踏み込むこととなった。まずいきなり背景画のクオリティーの高さに度肝を抜かれる。さすが映画だなと……。

 物語は155分の長編ながら、無限城編三部作の幕開けに過ぎず、しかも今回主軸を担うのは、あの「上弦・参の鬼」猗窩座。かつて『無限列車編』で煉獄杏寿郎と死闘を演じたその存在が、今作では単なる敵役を超え、ひとつの物語を背負う主役として描かれていた。

 彼の人間としての名は狛治。拳ひとつで戦う武の使い手。激闘の最中に挟み込まれる過去の記憶が、鬼である彼に仄かな温もりと翳りを与える。その悲恋は観る者の心を揺らし、気づけば私たちは、敵として憎むべきはずの鬼にさえ、同情の目を向けていた。

 無限城――その名のごとく、空間が縦横無尽に広がり、敵の本丸を探し当てるのはまるで砂漠に落とした針を探すかのようだ。無惨に辿り着ける未来も、討ち果たせる確信も、今のところ全く見当たらない。かすかな希望は、脱皮し蝶となろうとする丹治郎の変化に託されているように思えた。

 しかし、進んでは止まり、戦っては回想に沈む――この湿潤な展開の連続に、果たしてあと二章で終幕に至るのか、疑念は拭えない。どこか板垣恵介の格闘マンガ『バキ』のような、戦いの膨張と深化に身を委ねる語り口を思わせる。

 それにしても、公開から一月半を過ぎたというのに、劇場は満席に近い賑わい。幼子から老年まで、あらゆる世代が席を埋めていた。目立ったのは少女たちと中年女性の連れ、さらには私のような初老の観客も少なくない。ポップコーンの香りに包まれながら、ふと、これはもう単なるアニメーションではない、これこそひとつの「時代」なのだと、観客の熱気が教えてくれた。まちがいなく、邦画興行収入の新たなる金字塔となることは疑いないだろう。

評:蔵研人

 

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