リバティ・バランスを射った男
★★★★
製作:1962年 米国 上映時間:123分 監督:ジョン・フォード
まだ小学生だった頃、課外授業の一環で渋谷の映画館に足を運び、初めて本作を観た記憶がある。物語の細部はすでに朧げだが、ただ一つ、あの結末――「リバティ・バランスを射った男」が、実は誰であったのか――という劇的な真実だけは、今も鮮烈に脳裏に焼きついている。
監督がジョン・フォードとくれば、当然ながら主演はジョン・ウェイン――と思いきや、本作ではジェームズ・ステュアートとの堂々たるダブル主演という形をとっている。形式こそ西部劇だが、銃声と馬の蹄が鳴り響くばかりの単純な活劇ではなく、むしろ社会の矛盾や変革を静かに描いた重厚なドラマであった。
物語は、かつて一世を風靡した西部の英雄ランス・ストッダード(ステュアート)が、年老いて故郷に戻り、かの「リバティ・バランス事件」の真相を新聞記者に語り始めるという、回想形式で進行する。フォードはこの構成を巧みに用い、過去と現在を行き来することで、時代の変遷と共に失われゆく「神話」と「真実」の境界を浮かび上がらせる。つまり、本作は単なる過去の美談の再話ではなく、語り手自身が時代の中でどのように自己を位置づけようとしているのかという、メタ的な問いも孕んでいる。
演出面においても、フォードの老練な手腕は随所に現れている。特に構図の扱いには注目すべき点が多い。荒野を背景に人物を対峙させるロングショットでは、人間の小ささと時代の大きな流れが対照的に描かれ、酒場や法廷といった室内シーンでは、光と影のコントラストが人間関係の緊張や心理を巧みに表現している。モノクロ撮影の選択も、この光と影の使い方をより劇的にし、登場人物の内面や物語の二重性――真実と虚構、法と暴力――を視覚的に強調していた。
さらに美術も印象的で、装飾の少ない質素なセットが、当時の西部の質朴さと荒涼とした雰囲気をリアルに伝えてくる。時代が移ろう中で、建物や衣装が静かに変化していく細部の描写も、本作が「個人の物語」であると同時に「アメリカの歴史」を語っていることを示している。
またある意味で明治維新とともに消えていった武士のように、民主主義に目覚めた米国西部での、ガンマンたちの衰退の運命を描いているようにも見える。だからカウボーイのトム(ウェイン)も、敵対する悪人のリバティ(マーヴィン)も、いわば“過ぎ去るべき旧世界”の象徴として、どこかで繋がっていたのかもしれない。
その敵役リバティ・バランスを演じるのは、当時“悪役専門”として鳴らしたリー・マーヴィンだ。彼の演技には、ただの凶暴さを超えた、どこか翳りを帯びた陰影と渋みが感じられた。暴力を振るうしか自己表現の手段を持たない存在としての哀しさが、画面の端々に滲んでいた。
本作は、ジョン・ウェインとジョン・フォードがタッグを組んだ最後の西部劇としても知られている。アカデミー賞にノミネートされたのも頷ける完成度で、いま改めて観ても、決して古びることなく、むしろ時を経て深みを増した趣すら感じられる。
ストーリーそのものは一見すると通俗的に映るかもしれないが、何より登場人物たち――ウェイン、ステュアート、マーヴィン、そしてヴェラ・マイルズ――が、それぞれの役どころに見事に溶け込み、物語に確かな輪郭を与えていたのが印象的だった。
また余談ながら、リバティの手下のひとりとして、のちに『夕陽のガンマン』で名を馳せるリー・ヴァン・クリーフが出演していたのを見逃さなかった。あの冷徹な目元が、既にスクリーンの片隅で、不穏な輝きを放っていたのだから、なるほどと頷いてしまったのである。
評:蔵研人
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