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2025年7月の記事

2025年7月31日 (木)

国宝

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★★★★
製作:2025年 日本 上映時間:175分 監督:李相日

 その題名に込められた重みの通り、本作は一人の歌舞伎俳優の生き様を、時に苛烈に、時に静謐に描いている。約3時間の長丁場なのでトイレの心配があったが、私をはじめとして途中誰も席を立たなかった。これは単にストーリーへの没入という以上に、舞台芸術の魅力そのものがスクリーンを通して胸に迫ったからだろう。

 物語は、やくざの家に生まれた少年・喜久雄が、目前の抗争で父を失い、孤児となったところから始まる。絶望の淵にあった彼を救ったのは、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎。彼は少年の中に潜む天賦の才を見抜き、喜久雄を自らの息子同然に引き取る。

 喜久雄と、半二郎の実子であり同い年の俊介。二人は兄弟のように育てられ、やがて舞台の上で切磋琢磨し合うようになる。だが、遊芸に長けた俊介と、命を削るように芸を磨く喜久雄――その対照は、やがて越えられぬ隔たりとなってゆく。俊介には名門の血が、喜久雄にはただ芸にすがるしかないという宿命があった。

 観客は、この二人の関係がやがて破綻することを、物語が深まるにつれ、静かに確信する。だがその転換の描写が、映像表現においてはやや唐突に映るのも事実である。
 原作未読ゆえ断定はできないが、彼らが経験するあまりに過酷なドサ回りの描写には、現実との乖離を感じずにはいられなかった。既に名を馳せた二人が、あのように人知れず落ちぶれるという筋立てには、些かの説得力を欠くからだ。
 さらに終盤になるといつの間にか「人間国宝」になっていたのもやや説明不足ではないだろうか。

 それでも、本作を語るうえで忘れてはならないのは、随所に挿入される歌舞伎演目の美しさである。吉沢亮と横浜流星が見せる本気の舞台、その研ぎ澄まされた所作と目線の一つひとつが、彼らの役者としての覚悟を物語っている。また、渡辺謙、寺島しのぶ、田中泯といった重鎮たちの存在感が、その熱演に深みと陰影を与えたことも大きいはずだ。

 そして、フィナーレを飾る『鷺娘』――そこには、喜久雄が求め続けた「蛍の飛ぶような花の舞」があり、観る者の心にそっと火を灯す。音楽と舞とが融けあうその瞬間、国宝と呼ばれるにふさわしい芸が、まばゆい光を放つのである。そして思わず私の頬に、一滴の涙が流れ落ちたのであった。

 余談であるが、歌舞伎座の中でのいくつかの演目が披露されたので、てっきり松竹配給だと思い込んでいたのだが、なんと東宝配給であったのは意外であった。もしかすると、12億円の巨額製作費と営業力の差が影響したのだろうか……。

評:蔵研人

 

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2025年7月28日 (月)

成瀬は天下を取りにいく

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著者:宮島未奈

 第39回『坪田譲治文学賞』、2024年『本屋大賞』を受賞し、いまや書店の顔となっている本書は、単なる長編小説ではない。『ありがとう西武大津店』『階段は走らない』の2編が先に雑誌掲載され、さらに書き下ろしの4編を加えた連作短編集である。それにもかかわらず、「天下を取りにいく」というタイトルを堂々と掲げるあたりが、まさに主人公・成瀬あかりの面目躍如だ。

 成瀬あかり~彼女は中学二年生にして、文武両道・不動の信念を貫く少女。まるで戦国時代の若き武将がそのまま現代に転生したかのような、堂々とした佇まいで、常識のレールを悠々と跳ね越えてゆく。その姿は、フィクションにしか存在しえないからこそ愛おしく、読む者に「こんな子がいてほしい」と願わせる、物語の奇跡そのものだ。

 冒頭を飾る『ありがとう西武大津店』では、実在のショッピングセンター閉店を背景に、成瀬が毎日店頭に通い詰める。彼女は西武ライオンズのユニフォームをまとい、まるで時代の終焉に抗う最後の旗手のように立ち続ける。その姿を静かに見守る語り手・島崎みゆきの目線が、どこか切なくも温かく、現実と物語の境界をじんわりと滲ませていく。

 続く『膳所から来ました』では、舞台が一転して笑いの戦場へ。成瀬は突如「M-1グランプリに出場する」と宣言し、島崎を巻き込んで漫才コンビ「ゼゼカラ」を結成。目が回るようなジェットコースター展開に読者も乗せられ、可笑しさの中に青春のまぶしさがきらりと光る。

 異色作の『階段は走らない』では、成瀬はほとんど登場しない。それでも彼女の存在は、物語の地中を流れる通奏低音のように響いている。中年男性ふたりの再会と回想を描いたこのエピソードには、「人生の午後」にふと足を止めさせるような静かな余韻がある。読後に、自分自身の小学校時代の光景が、遠い蜃気楼のようにぼんやりと浮かんできた。

『線がつながる』では、高校に進学した成瀬が、なんと丸坊主で入学式に現れるという衝撃の出オチで幕を開ける。まるで漫画の1コマのような絵面だが、彼女はいつも通り堂々としており、周囲はその理由を聞けずに戸惑うばかり。そんな成瀬の不可思議な魅力は、孤高でありながらも周囲を引き寄せてやまない、引力を帯びている。

『レッツゴーミシガン』では、小倉百人一首かるた大会が舞台となる。成瀬のエネルギッシュなしぐさに、一目惚れする他校の西浦航一郎の視点で描かれた本作は、まるで成瀬という台風に巻き込まれていくような読書体験を与えてくれるはずだ。

 そして最終話『ときめき江州音頭』では、ついに成瀬自身が語り手となる。大学受験を控える中、これまでの成瀬では考えられないほどの失敗が続き、心が沈む。それは、親友・島崎が突然東京に引っ越してしまったことも大きいのだろう。いつだって“スーパーガール”だった彼女が、はじめて壁にぶつかり、傷つき、涙を流す。その姿に、私たちはようやく人間としての彼女を見つける。そして、夏祭りのステージで「ゼゼカラ」が復活するラストには、心の奥から温かい拍手を送りたくなるだろう。

 すべての短編が、軽やかでユーモラスでありながら、時折ふと胸を締めつけるような繊細さを内包している。まるで、甘いあんこにほんの少し山椒を効かせた近江の郷土料理のように、読後にはじんわりとした余韻が残る。現代という穏やかな時代に生きる私たちにとって、成瀬のように「ぶれずに、自分の信じた道を歩く」姿勢こそが、明日への静かな勇気になるのだ。

評:蔵研人

 

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2025年7月24日 (木)

『終わりに見た街』(2024年版ドラマ)

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★★★☆

原作:山田太一 脚本:宮藤官九郎
出演:大泉洋、吉田羊、三田佳子、堤真一、奥智哉

 原作小説が発表されたのは1981年であり、本作はその現代的リメイクにあたる。時代の変化に伴い現代パートの設定は大幅に変更されていたが、それ自体は自然な対応といえるだろう。ただし、序盤の現代描写はやや冗長で、コミカルな演出も過剰気味に感じられた。これは脚本を手がけた宮藤官九郎の作風が色濃く反映された結果とも言える。

 なお、タイトルに「2024年版」と付したのは、1982年に細川俊之主演で初めてドラマ化され、2005年には中井貴一主演で再度リメイクされているからである。つまり本作は三度目の映像化である。

 1982年版・2005年版はどちらも原作者・山田太一が脚本を手がけており、特に1982年版は原作に極めて忠実で、「戦争反対」のメッセージを正面から伝える重厚なSFドラマとなっていた。2005年版も現代設定や登場人物の職業に若干の調整はあったものの、基本的には原作の骨格を踏襲している。

 一方、本作は現代パートに宮藤流のユーモアが前面に出ており、導入部はやや軽薄にも映った。しかし、家族がタイムスリップしてからは物語が原作の流れに戻り、緊張感のある展開へと移行していく。特に三田佳子が演じる認知症の母という新たな設定は、物語に深みと感情の複雑さを与えており、印象的であった。

 なぜ今、この作品が再び映像化されたのか。その背景には、世界各地で再び戦争が現実のものとなっている状況があるのかもしれない。序盤のコミカルな演出とは裏腹に、物語の終盤では戦争の恐怖と理不尽さが強烈に描かれ、最終的には原作同様、救いのない現実を突きつけるような結末へとたどり着く。
 なおあらすじについては、過去に原作小説の評論をまとめたものがあるので、次の URLをクリックして欲しい。

終わりに見た街: ケントのたそがれ劇場  映画と読書

評:蔵研人

 

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2025年7月20日 (日)

開業医の正体

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著者:松永正訓

 タイトルだけを見ると、あたかも開業医の知られざる実態や不正を暴く内容を想像してしまう。しかし実際には、著者自身が現役の開業医であり、自らを過度に批判するような記述は当然ながら見られない。むしろ、へりくだった語り口ながらも、開業医という職業の魅力ややりがいをさりげなく肯定しているようにも感じられた。

 一方で、クリニック開業時にリース会社が資金・経営・設備面を全面的にサポートしてくれることや、引退時には営業権の譲渡を仲介する業者が存在するという事実には、思わず「なるほど」と唸らされた。これは医療業界に詳しくない読者にとっては大きな発見であり、本書の価値のひとつと言えるだろう。

 また、開業医の収入や経営の採算、勤務医との違い、看護師との関係性、女性医師の力量、そして「名医」とは何かといったテーマは興味深く、ページをめくる手が止まらなかった。業界の裏話や現場のリアルも随所に盛り込まれており、文章も平易で読みやすい。

 とはいえ、私が本書に期待していたのは、もう少し批判的かつ客観的な視点からの「開業医の実像」であったため、その点ではやや物足りなさを覚えたのも事実である。著者が当事者である以上、どうしても視野が限られるのはやむを得ないのかもしれない。

 いずれにせよ、現役の看護師や事務職員、あるいはすでに引退した医療従事者が執筆した、より外側からの視点による「開業医の正体(実態)」を読んでみたい、という思いがあらためて芽生えた一冊であった。


評:蔵研人

 

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2025年7月16日 (水)

スーパーマン (2025年版) 

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★★★☆

製作:2025年 米国 上映時間:129分 監督:ジェームズ・ガン

 半年ものあいだ心待ちにしていたスーパーマンの新作が、ついに公開された。スーパーマン命のファンとしては見逃すわけにはいかず、胸を躍らせて劇場へと足を運んだ。

 本作は、クリストファー・リーヴ版から数えて実に9作目にあたる。今回スーパーマン役に抜擢されたデヴィッド・コレンスウェットは、193cmの長身に加え、その風貌もスーパーマン像に実にふさわしい。加えて、ザック・スナイダー版では姿を消していた“赤のパンツ”やお馴染みのテーマ曲も復活。スーパーワンちゃん、召使いロボット、新たな超人まで登場し、ファンにはたまらない演出が目白押しだ。

 だが、惜しむらくは物語の芯に深みがない。シリーズ物ゆえ、スーパーマンの誕生やロイスとの出会いを省略するのは理解できるが、レックス・ルーサーの新技術や戦略の描写が乏しく、敵役や新超人たちの登場にも伏線がない。そしてテーマとなるべく「あの戦争」についての描写や説明が殆どないのは一体なぜであろうか。
 また、何よりクラーク・ケントの存在が希薄なのがとても寂しい。スーパーマンは、クラーク・ケントという仮面を通してこそ人間性を帯びる存在であり、ロイス・レインとの関係もその中でもっと輝くはずだ。

 それにしても、キャストたちの演技は素晴らしかった。スーパーマン、ロイス、ルーサーはいずれも的確な配役と、安定感ある演技で魅了した。ただ、クラークの育ての両親にもう少し存在感があれば、ドラマの輪郭はより鮮明になっただろう。

 米国では大ヒットとのことだが、観終えた後には何とも言えぬ物足りなさが残る。スーパーマンはあまりに強大であるがゆえに、敵となりうる存在が限られている。結果としてクリプトナイトや彼自身のクローンも含め、毎度クリプトン星由来の脅威ばかりが繰り返され、物語は徐々に閉塞感を帯びる。

 マンネリ打破のために、新たな超人やロボット、怪獣などを投入するのも無理はないが、そうした試みは時として物語の本質を見失わせ、単なるアクションの羅列に堕しかねない。

 思えば、心を震わせるスーパーマン映画は、1978年の『スーパーマン』と1980年の『スーパーマンII/冒険篇』で頂点を迎えていたのかもしれない。もしこれらを凌ぐ作品を創るとすれば、続編ではなく、スーパーマンという神話をゼロから見つめ直し、時代に応じた再構築と新技術による革新が求められるだろう。

評:蔵研人 

 

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2025年7月14日 (月)

人質の法廷

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著者:里見蘭

 はじめてこの本を手にしたときは度肝を抜かれた。なにせ二段組で600頁もある巨大な分厚い本だったからである。もしこれを文庫本にしたら、たぶん5冊を超えてしまうだろう。それに内容は裁判の話なので法律用語や条文が飛び交うのだ。二週間の約束で図書館から借りたのだが、遅読の私に完読できるのか不安であった。

 タイトルの『人質の法廷』とは人質司法とも呼ばれ、否認供述や黙秘している被疑者や被告人を長期間拘留する(人質のような扱いをする)ことで自白等を強要しているとして日本の刑事司法制度を批判する用語のことである。
 したがって本作では、状況証拠だけでは逮捕できないと考えた警察・検察側が、寄ってたかって無理やり自白に追い込み冤罪逮捕された被告人を守る弁護士と警察・検察・裁判官との戦いが克明に描かれている。
 それにしても警察と検察がつるむのは理解できるが、公正な立場だと信じていた裁判官までが彼等の味方だったとは恐怖以外の何物でもなかった。やはり国家権力という同じ穴の狢だからであろうか……。
 それはそれとして、法律を学んだ訳でも法曹界の経験者でもないのに、法律はもとより弁護士、警察、検察、裁判などの仕組みや実情を知り尽くしている著者の勉強力・調査力あるいはネットワーク力には驚愕するばかりである。また漫画の原作やファンタジーなど多彩な引き出しも保持しているようなので、是非ほかの作品も味わいたいと考えている。

 ここで本作のあらすじをざっと記してみよう。
 
 主人公の川村志鶴はまだ駆け出しの女弁護士だが、勉強熱心で正義感に溢れ、そのうえ男勝りのパワーを発揮して弁護士活動を続けている。そんなある日、当番弁護の要請が入り「女子中学生連続殺人事件」の容疑者の弁護を担当することになる。
 容疑者の増山敦彦は典型的なデブッチョロリコンオタクで、いかにも犯人らしい風采なのだが、志鶴は彼の言葉を信じて冤罪をはらそうと積極的に弁護人を引き受けるのだが、気の弱い増山は警察・検察に恫喝されやってもいない罪を認めてしまうのだった。
 読者たちはこのあたりでは、冤罪ではなくもしかすると増山が殺人犯なのかも、と考えてしまうかもしれない。だが中盤になって突如真犯人が登場し、かなり詳細にその犯行手口が描かれてしまうのである。

 そう、あくまでもこの小説は犯人探しではなく、国家権力たちの不法な取り調べや裁判がテーマなのだ。それは理解しているのだが、余りにも悪質で残虐な真犯人の行動には許しがたい憤りを抑えることができない。さらに余りにも惨すぎる、少女たちへの暴行描写に反吐が出る思いも禁じえなかった。
 なんといってもクライマックスは、約200頁にわたる終盤の裁判シーンである。このあたりはまるで自分も傍聴しているような臨場感に巻き込まれ気を抜くことができず、私自身もパワー全開となり夜を徹して一気に読破してしまった。
 納得できるなかなか素晴らしい大団円であったが、その後の真犯人に対する詳しい描写がなかったのだけが心残りである。いずれにせよ専門用語が飛び交う分厚い本にしては、読者をぐいぐいと引き込んでくれるので読み易く面白かった。

評:蔵研人

 

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2025年7月10日 (木)

リバティ・バランスを射った男

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★★★★

製作:1962年 米国 上映時間:123分 監督:ジョン・フォード

 まだ小学生だった頃、課外授業の一環で渋谷の映画館に足を運び、初めて本作を観た記憶がある。物語の細部はすでに朧げだが、ただ一つ、あの結末――「リバティ・バランスを射った男」が、実は誰であったのか――という劇的な真実だけは、今も鮮烈に脳裏に焼きついている。

 監督がジョン・フォードとくれば、当然ながら主演はジョン・ウェイン――と思いきや、本作ではジェームズ・ステュアートとの堂々たるダブル主演という形をとっている。形式こそ西部劇だが、銃声と馬の蹄が鳴り響くばかりの単純な活劇ではなく、むしろ社会の矛盾や変革を静かに描いた重厚なドラマであった。

 物語は、かつて一世を風靡した西部の英雄ランス・ストッダード(ステュアート)が、年老いて故郷に戻り、かの「リバティ・バランス事件」の真相を新聞記者に語り始めるという、回想形式で進行する。フォードはこの構成を巧みに用い、過去と現在を行き来することで、時代の変遷と共に失われゆく「神話」と「真実」の境界を浮かび上がらせる。つまり、本作は単なる過去の美談の再話ではなく、語り手自身が時代の中でどのように自己を位置づけようとしているのかという、メタ的な問いも孕んでいる。

 演出面においても、フォードの老練な手腕は随所に現れている。特に構図の扱いには注目すべき点が多い。荒野を背景に人物を対峙させるロングショットでは、人間の小ささと時代の大きな流れが対照的に描かれ、酒場や法廷といった室内シーンでは、光と影のコントラストが人間関係の緊張や心理を巧みに表現している。モノクロ撮影の選択も、この光と影の使い方をより劇的にし、登場人物の内面や物語の二重性――真実と虚構、法と暴力――を視覚的に強調していた。

 さらに美術も印象的で、装飾の少ない質素なセットが、当時の西部の質朴さと荒涼とした雰囲気をリアルに伝えてくる。時代が移ろう中で、建物や衣装が静かに変化していく細部の描写も、本作が「個人の物語」であると同時に「アメリカの歴史」を語っていることを示している。

 またある意味で明治維新とともに消えていった武士のように、民主主義に目覚めた米国西部での、ガンマンたちの衰退の運命を描いているようにも見える。だからカウボーイのトム(ウェイン)も、敵対する悪人のリバティ(マーヴィン)も、いわば“過ぎ去るべき旧世界”の象徴として、どこかで繋がっていたのかもしれない。

 その敵役リバティ・バランスを演じるのは、当時“悪役専門”として鳴らしたリー・マーヴィンだ。彼の演技には、ただの凶暴さを超えた、どこか翳りを帯びた陰影と渋みが感じられた。暴力を振るうしか自己表現の手段を持たない存在としての哀しさが、画面の端々に滲んでいた。

 本作は、ジョン・ウェインとジョン・フォードがタッグを組んだ最後の西部劇としても知られている。アカデミー賞にノミネートされたのも頷ける完成度で、いま改めて観ても、決して古びることなく、むしろ時を経て深みを増した趣すら感じられる。

 ストーリーそのものは一見すると通俗的に映るかもしれないが、何より登場人物たち――ウェイン、ステュアート、マーヴィン、そしてヴェラ・マイルズ――が、それぞれの役どころに見事に溶け込み、物語に確かな輪郭を与えていたのが印象的だった。

 また余談ながら、リバティの手下のひとりとして、のちに『夕陽のガンマン』で名を馳せるリー・ヴァン・クリーフが出演していたのを見逃さなかった。あの冷徹な目元が、既にスクリーンの片隅で、不穏な輝きを放っていたのだから、なるほどと頷いてしまったのである。

評:蔵研人

 

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2025年7月 6日 (日)

本心

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著者:平野啓一郎

 著者の平野啓一郎は、妻夫木聡、安藤サクラ主演で映画化された『ある男』の原作者でもある。『ある男』は奇妙でミステリアスな展開でありながら、家族や差別問題などの現代的テーマで塗りつぶされていた。本作もそれに負けずに斬新なテーマを題材としている。
 舞台は近未来の日本であり、なんと主人公の石川朔也は、3百万円支払ってヴァーチャル・フィギュアを使って死んだ母親を再生させるのだ。また自由死が法的に認められており、母親の死因は事故だったものの、生前から安楽死(自由死と表現している)を希望していた「本心」を探るのが本作のテーマなのである。
 そしてその母の本心を探るため、朔也は母が通っていた自由死肯定派医師の富田と会って話を聞く、さらに母が信用していた職場の友人三好とも会うことになる。この二人の話を聞く限りでは、母が自由死を希望したのは、働けなくなり息子の重荷にならぬためだという親心からだというのだが……。

 この小説のタイトルを考えながら、そのテーマは母親のヴァーチャル・フィギュアを通して、母親が望んでいた自由死が「本心」だったのかを探ってゆく話だと思い込んでいた。ところが三好と会ってからは、だんだんヴァーチャル・フィギュアの存在感が薄くなってゆくのだ。それでも朔也と同居した三好がヴァーチャル・フィギュアを使い始めたので、少なからずも彼女との係わりは続いていたのだが、その内容は全く描かれることがなかった。
 その後ひょんな事件に巻き込まれた結果、イフィーという有名で超セレブな「アバター・デザイナー」と知り合うことになってからは、母親のヴァーチャル・フィギュアはほとんど出番がなくなり、朔也の興味も行動もイフィーとの係わりに凝縮されてゆく。

 ただ母が生前に愛読していた作家・藤原亮治の存在と、生前の母との関係が気がかりであった。そんな折、年が明けた頃になって、なんとかなり前に連絡をとっていた藤原亮治から、突然メールが届くのである。そして彼が入所している有料老人ホームまで足を運ぶのだが、ここで今まで知らなかった母の過去が明かされることになる。
 このあたりからストーリーが急展開することになり、一気にラストまでスパートを駆け抜けることになる。さらに犯罪を犯した元同僚の岸谷と面会するため拘置所へ行ったり、コンビニで助けたミャンマー人のティリとレストランで食事をするのだが、とにかく木枯らしが吹き抜けたかと思うと、いきなり薫風に遭遇するような慌ただしいが余韻を残すようなラストで締めくくられてしまった。

 結局「本心」とは何を示唆していたのだろうか。母が自由死を選んだ本心なのか、それとも朔也を産んだ理由なのか……。だがよくよく考えると朔也自身が母や三好やイフィーに求めていた「何か」だったのだろうか。いやいや真のテーマは、人間の生と死が宇宙に始まり宇宙に融合する、という論理を絡めて自由死に対する是非を問いたかったのかもしれない。
 それにしても本作の現実と非現実が交錯する描写や、登場人物の内面に深く迫るスタイル、さらに視点やテーマが急に変わるところや、予測不可能でなかなか明かされない不確実性やあやふやな展開、そしてラストに余韻を残したままそのあとは読者に委ねる手法などは、あの村上春樹の作風と似ていると感じたのは私だけであろうか。まあいずれにせよ、内面的な葛藤や矛盾に塗れながらも哲学的で思索的な雰囲気が漂う興味深い作品であることは間違いないだろう。

評:蔵研人

 

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2025年7月 1日 (火)

信長協奏曲 (映画)

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★★★☆

製作:2016年(日本)/上映時間:126分/監督:松山博昭

 原作は石井あゆみによる同名マンガ。第57回小学館漫画賞(少年向け部門)を受賞し、「全国書店員が選んだおすすめコミック2012」でも第7位にランクイン。2016年9月時点で累計発行部数は450万部を超えるなど、まさに一大ヒット作となった。アニメ、実写ドラマ、そしてこの映画版と、三つのメディアで同時展開された点も異例だ。

 本作はその実写ドラマ版の続編にあたり、キャストも続投されているため、ドラマ未視聴の観客には若干ハードルが高い部分があるかもしれない。しかし、そこは“織田信長”という誰もが知る歴史上の人物の物語。背景が多少分からずとも、大筋は自然と飲み込めてしまうだろう。

 物語は、現代の高校生・サブローが突如戦国時代にタイムスリップし、瓜二つの織田信長と出会うところから始まる。気弱な本物の信長は、自分の代わりに“信長”として生きてくれと頼み、姿を消してしまう。
 歴史の知識もなく、戦を嫌うサブローは、「平和な世を作りたい」という思いだけで、この時代で信長として生きることを決意する。しかし彼は、本能寺の変で信長が死ぬ運命にあることさえ知らないのだった……。

 この設定だけでも十分ユニークだが、本作の面白さは「歴史をなぞるのか、それとも変えるのか?」という問いに終始するところにある。歴史の枠を超えた展開、パラレルワールド的な視点、そして主人公たちの心情の揺らぎが、物語に奥行きを与えている。

 なかでも、小栗旬演じるサブローと、柴咲コウ演じる帰蝶との戦国風ラブストーリーは、戦国という時代背景の中にささやかな人間ドラマを刻んでおり、終盤のどんでん返しと相まって、観終わった後には不意に胸が熱くなる。単なる歴史フィクションではなく、「信長とは何か」「生きるとはどういうことか」を問いかける一作だった。

評:蔵研人

 

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