滅びの前のシャングリラ
著者:凪良ゆう
小惑星が地球に衝突して地球と人類が滅びる前の1か月を描いた小説である。タイトルの「シャングリラ」とは「理想郷」「桃源郷」「楽園」という意味で使われる言葉であるが、滅びと楽園では矛盾しているではないか。たぶんこの小説の中で精神的に恵まれなかった主役たちが、人類最後の日を迎えて本当の意味での安らぎを味わえたからであろうか……。
本作は4人の語り部による4つの章で構成されている。第一章ともいえる「シャングリラ」は、太っていていじめられっ子高校生の江那友樹が「ぼく」という一人称で描かれる。さらに第2章「パーフェクトワールド」は、友樹の父親である喧嘩屋の目力信士が「俺」という一人称で登場する。
さらに第3章「エルドラド」は友樹のヤンキー母である江那静香が「あたし」として主人公になる。そして最終章「いまわのきわ」は、友樹が片思いしている藤森雪絵が主人公になるのかと思っていたら、なんと彼女が崇拝している歌手Loco(本名:山田路子)が語り部になるのだった。
つまり前述したとおり、この人生を上手に乗り切れなかった4人(実は藤森雪絵も含めて5人)が、地球滅亡を前にして開き直って自分を取り戻してゆく様を描いているのである。
「1か月後の15時に小惑星が地球に衝突します」午後8時に、すべてのチャンネルで放送された首相の記者会見が混乱の始まりであった。何年も前から秘密裏に全世界協力態勢で衝突回避を検討してきたのだが、もはや人間の力ではそれを回避することは不可能だという。
交通はマヒしTVも映らなくなり、街では平気で略奪や殺人が横行している。だからと言って夢も希望もないパニック小説でもないようなのだ。では本当に地球と人類は滅びるのだろうか、もしかすると『ノストラダムスの大予言』のように未遂に終わり人類は助かるのだろうか。とページをめくる指が震えてくるのだが、そもそも本作は単なるパニック小説ではない。
従って本作が目指すところは、小惑星の衝突日でありながらも、衝突するか否かではないのだ。多分それよりも「ひとは欲望を叶えたり幸せを掴むために、努力したり苦しんだり苦しめたりするのだが、実は本当の幸せは死ぬ直前になってはじめて気づくものではないだろうか」というシャングリラなのかもしれない。
評:蔵研人
下記のバナーをクリックしてもらえば嬉しいです(^^♪↓↓↓
↓ブログ村もついでにクリックお願いします(^^♪
| 固定リンク | 0
コメント