わたしは光をにぎっている
★★★★
製作:2019年 日本 上映時間:96分 監督:中川龍太郎
両親を亡くし、野尻湖の畔にある民宿を祖母と切り盛りしていた宮川澪(松本穂香)は、祖母が入院し民宿を閉めることを余儀なくされる。そしてやむなく亡父の親友・三沢京介(光石研)を頼って上京する。
京介は下町で古びた銭湯を営んでおり、澪は就職先が見つかるまで、その銭湯の二階に居候することになる。だが超・無口のためか、なかなか就職先が見つからず、バイトのスーパーにも馴染めずすぐに辞めてしまう。やむなく京介の銭湯を手伝うのだが、なんとこれが彼女の感性にピッタリの職場であった。
ところがこの銭湯だけではなく、馴染みのラーメン屋、映画館、飲み屋などを含めた地域全体が再開発のため立ち退きを余儀なくされ、閉店することになっていることを酔った京介から知らされる。
さらに追い打ちをかけるように、祖母の訃報を告げる電話が鳴り響く。どうも澪の周りには、不幸の連鎖がとぐろを巻いているようである。だが決して彼女は挫けない。銭湯についても、「ちゃんとした終い方」をしようと京介に提案する。
古く薄汚れた銭湯や街並みと、超美麗な自然の風景が交互に差し替えられ、古いものと美しいもののコントラストが激しい映像である。古い町や銭湯、民宿、そして祖母などの古いもの消えてゆき、新しい町や文化を若い人々が運営してゆくということを示唆しているのであろうか。
淡々としたストーリー展開と、普通の人々が織りな変化のない日常。そして会話が少なく説明も省略しているのだが、なんとなくじわじわと心に沁みてくる。こんな映画こそ、貧困な現代の邦画に求められている映画なのかもしれない。
タイトルの意味は、明治大正期に活躍した詩人・山村暮鳥の『自分は光をにぎつてゐる』をもとに付けられおり、澪が祖母に貰った詩集でもある。そして劇中では、澪がはじめて生きがいを感じた銭湯の仕事を光に例えているような気がするのであるが、考え過ぎであろうか…。
評:蔵研人
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