羅生門
★★★★
製作:1950年日本 上映時間:88分 監督:黒澤明
本作の脚本は、芥川龍之介の短編小説『羅生門』と『藪の中』を組み合わせて創られている。序盤とラストが『羅生門』で、その他は『藪の中』で構成されていると言って間違いないだろう。
それにしても古びた羅生門が印象的であり、製作費の大半がこの門の製作費に充てられたとも言われている。また墨汁を混ぜたような黒い雨は、この作品を観る者の心の中にまで降り込んでくるようだった。
登場人物は強盗の多襄丸(三船敏郎)、武士(森雅之)、その妻・真砂(京マチ子)、杣売り(志村喬)、旅法師(千秋実)、下人(上田吉二郎)、放免(加東大介)、巫女(本間文子)のたった8人なのだが、いずれも黒澤好みの個性的だったり芸達者な俳優ばかりで退屈しないのだ。
この作品の主眼は、戦に明け暮れて荒れまくった平安京で生きる人々の荒んだ生き様と、当てにならない人の心の変遷を描いている。従って娯楽映画ではなく、どちらかと言うと芸術的な作品として分類できるだろう。そしてその証として、ブルーリボン賞脚本賞をはじめとして、ヴェネツィア国際映画祭やアカデミー賞など国際的にもかなり評価されているのだ。
さて前振りが長くなったが、ざっとあらすじを述べてみようか・・・。
強盗の多襄丸が森の中で縛りつけた夫の眼前で、その妻・真砂を犯し、挙句の果てに殺す必要のなかった夫を殺害してしまうという話なのである。ところが検非違使の前での多襄丸、真砂、殺された夫(巫女が再現)の証言が三者三様なのだ。これは法廷における当事者間で生じている利害関係の相反による供述の食い違いと考えればよいかもしれない。
芥川龍之介の『藪の中』は、読者に結末を想像させるリドルストーリーだったが、この映画中では志村喬が演じる杣売りが、木陰で事件の全貌を覗き見ていたことになっている。つまりお白州での三者三様の証言は全てが嘘で、ラスト近くに杣売りによって真実の結末が語られるという構成になっているのだ。
ただ杣売り自身もある罪を犯しており、その証言が真実かどうかが、また観客のほうに投げ返されている感がないでもない。そして本当のラストになって、それまでずっと暗くて陰湿だった展開にやっと終止符が打たれる。
土砂降りだった雨も止み羅生門に光が射して、杣売りが赤子を抱えるラストシーンに、やっと観客も救われるはずである。・・・と善意に考えたいのだが、黒澤監督がどんな気持ちでこのラストシーンを挿入したのかは、最早誰にも分からない謎なのかもしれない・・・。
評:蔵研人
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