まともな男
★★★★
製作:2015年 スイス 上映時間:92分 監督:ミヒャ・レヴィンスキー
どうも邦題の『まともな男』とは、一体何を意味するのか判断するのが難しい。主人公の「まともな男でありたい」という願望なのだろうか。原題の『NICHTS PASSIERT/A DECENT MAN』はドイツ語なのだろうか。正確には翻訳出来ないのだか、『何も起こらない/まともな男』だとしたらほぼ邦題と変わらないのだが…。
家族三人(倦怠期の夫婦と高校生の娘)のスキー旅行のつもりが、父親トーマスの優柔不断さから赤の他人が加わって四人になってしまう。それはトーマスが上司に頼まれて、その娘ザラを一緒に連れて来てしまったからである。だが家族団らんの旅行を期待していた妻も娘も、突然のザラの参加には不快感を隠せない。
ロッジに到着した夜、娘とザラがロッジの管理人の息子セヴェリンに誘われてパーティーに行くことになってしまう。はじめは反対していたトーマスだったが、娘たちの執拗な懇願に負けて外出を許してしまうのである。
そもそもこれが全ての悲劇の始まりであった。トーマスが深夜に娘たちを迎えに行くと、荒れて不機嫌な娘と街角で悲嘆に暮れるザラを発見する。
そこでザラは、セヴェリンに強姦されたことをトーマスだけに告白する。彼女は警察には行きたくないし、このことは誰にも喋るなとトーマスにくぎを刺すのだが・・・。
このあとザラは悩み苦しみ、思考が何度も反転し始める。またトーマスのほうも、このことを誰にも相談出来ず、責任感と保身が絡みあい追い詰められてゆく。そして彼はとうとう封印していた禁断の掟を破ってしまうのである。そして次々と重大な事件が勃発することになってしまうのだった。
一応この作品のジャンルはコメディ・ドラマとなっているのだが、サスペンスとかスリラーと仕訳したほうが適性のように感じる。ただそうであればあの後味の悪いハッピーエンドはどのように説明すればよいのだろうか。
スイス映画を観るのは久しぶりだが、やはりハリウッド映画とは全く視点が異なっていてなかなか印象深い作品に仕上がっている。また地味ではあるが、かなり丁寧に練り込まれた脚本と心理描写には脱帽せざるを得ない。
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