虹蛇と眠る女
★★★☆
製作:2015年 豪州、アイルランド 上映時間:121分 監督:キム・ファラント
オーストラリアの小さな町に引っ越してきた4人家族。父親が娘を叱った夜、奔放な姉とその姉の監視役の弟が外出したまま姿を消してしまう。大規模な警察の捜査がはじまり、さらに両親たちも必死になって、その行方を探すのだがなかなか見つからない。一体二人は何処へ消えてしまったのだろうか。
前半はちょっとエロチックな少女の卑猥な行動に翻弄されっぱなしだ。さらに家族の抱える謎の解明、そして行方不明になった子供たちの不可解な行動とその行方が気になるミステリー風味にそそられる。
ところが後半になって、だんだんストーリー展開がダレてくるのだ。あれだけ警察が大規模な探索をしても全く手がかりを得られなかったのに、いとも簡単に弟が見つかってしまうし、そもそも警察官も西部劇の保安官のだし、ヒューゴ・ウィーヴィングしか登場しないのもドラマを小さくしている。また家族の謎は解けたものの、いまひとつはっきりしないし、結局子供たちの不可解な行動も封印されたまま終わってしまうという不親切さ。
子供たちが姿を消してから、妻役のニコールキッドマンが徐々に錯乱し始めてゆく。もちろん母親が錯乱状態に陥ること自体は理解できる。ところがである。娘の派手な服を着たり、男たちを挑発したり、挙句の果ては全裸で町中をふらつくなど、性的衝動だけに染まってしまったことは理解不能としか言いようがない。
原題は『STRANGERLAND』だが、邦題の『虹蛇と眠る女』の虹蛇とはいったい何を意味するのであろうか。そのためには、オーストラリアの先住民であるアボリジニの思想に対する知識が必要となる。
彼等の精神文化の中に、『ドリームタイム』という考え方がある。これは、世界は目覚めているときと眠っているときの二つに分類され、眠っているときは夢の世界で暮らし、その生活こそが真実なのだと、逆に目覚めているときの生活は幻でしかないという世界観なのだと言う。
その夢の世界では、全ての生物は精霊として存在し、死という概念もない。また大昔から精霊達が暮らしていて、世界の始まりを教えてくれたりもする。そしてこの夢の世界で最も偉大な精霊が虹蛇なのだと言うのである。
アボリジニたちは、虹蛇を崇拝すると同時に恐れ、その怒りを買わないために多くの禁が存在した。それを破った人間は呪いで石にされたり、災害が起こると信じられてきたのである。
本作の中でニコール・キッドマンが時々見る『砂漠の中を彷徨う幻影』は一体何だったのだろうか。もしアボリジニの世界観に従えば、その幻影こそ真実であり、現実にはすでに娘など存在せず、それは娘に姿を変えた自分自身だったのであろうか。
いずれにせよ、アボリジニ伝説がバックボーンにある限り、本作はヒューマンドラマではないし、結論がないためミステリーとしても不完全だ。結局訳の判らない作品は、『ファンタジー』と総括するしかないのかもしれない。また「難解」と言うよりは、「不可解」と表現したほうがぴったりな作品でもあり、なかなか一般的な評価を得ることは難しいであろう。
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