日本のいちばん長い日
★★★★
製作:2015年日本 上映時間:136分 監督:原田眞人
半藤一利が書いたノンフィクションで、太平洋戦争で日本が降伏を最終決定した昭和20年8月14日から、国民に正式発表される翌15日正午までの政府中枢の緊迫した長い1日を描いている。またこのタイトルは、ノルマンディー上陸作戦を描いた「史上最大の作戦」という米国映画の原題「ザ・ロンゲスト・デイ」から拝借したという。
さて戦争を始めるのは簡単だが、終わりにするのはなんと大変なことか。二つの原爆を落とされて敗色の濃くなった日本。武力とパワーが圧倒的にまさる米国相手に、日本の命はもはや風前の灯火であった。だがいまだ兵力を温存している陸軍は、最後の一兵卒が消滅するまで戦うべきだと主張する。
そして陸軍将校の一部には、現人神でかつ最高司令官である天皇に楯突いても『国体』を守ると息巻いていた。ここで言う『国体』とは、「天皇を中心とした秩序(政体)」のことであるが、彼等の行動は明らかに矛盾している。つまり建て前は『国体』の維持であるが、本音は軍人としての存在感の喪失を恐れただけではなかったのだろうか。
そして実際にクーデターは勃発したのである。天皇の肉声によって終戦を宣言する『玉音放送』の原盤を奪取しようと、陸軍の若手将校たちが、なんと皇居に乗り込むのである。だが幸い玉音盤は見つけられずクーデターは失敗に終わり、日本は無事終戦を迎えることが出来たのは本当によかった。
もしこのクーデターが成功し無意味に終戦を遅らせてしまったら、おそらく原爆が東京にも落とされ日本人のほとんどが死傷したに違いない。そんなことになれば、多くの現代日本人、もちろん私自身も誕生していなかっただろう。このように大変な経緯を経て終戦を迎えられたことを我々は深く心に刻んでおくべきである。こうして日本の軍人、いや武士の世の中は、完全に消滅したと言えるだろう。
私は原作も読んでいるし、1967年の岡本喜八監督作品も観ている。原作はまさにドキュメンタリーであり、岡本作品はそれを意識したタッチで、重厚に描かれているのが印象的であった。その岡本作品についての特徴を簡単にまとめると次のようになるだろう。
上映時間が157分という長丁場だったこともあるが、タイトル同様とにかく長いのだ。また白黒映像であり超一流の俳優が多数出演しているためか、全体的に物凄い緊迫感が漂っていた。ことに軍人たちの反発、つまり終戦による軍人社会終焉と屈辱感に耐えられない者たちの大いなる葛藤が痛いほど伝わってくる。それだからこそ、阿南陸軍大臣の切腹シーンも残酷で凄まじいのだろう。
また昭和天皇の存命中に製作された映画なので、天皇を演じた松本幸四郎の姿ははっきり映さず背後からの映像が多かった。さらに天皇が「自分に何があっても良いから、国民のために終戦にしたい」と言う決断のお言葉には、スクリーンの中だけではなく、観ている者も涙でぐしゃぐしゃになってしまった。この天皇の決断には、永遠に感謝しなくてはならないだろう。
さてだいぶ前置きが長くなってしまったが、そろそろ原田眞人監督の本作品についてのレビューも取りまとめておこう。
とりかく原作を読み岡本作品も観たあとで本作を観たものだから、ストーリー展開云々よりも、どうしても比較論的なレビューになってしまうことをお許し願いたい。
まず一番印象に残ったのは、カラー作品でありながら、モノクロタッチの落ち着いた美しい映像であることだ。映像技術やカメラワークなどは、時代の特権で岡本作品を凌駕しているのは当然であろう。
また岡本作品では、女優が殆ど出演しない(唯一鈴木総理の私宅で新珠三千代がちらっと出るだけ)まさに男の映画であったが、本作では大臣たちの家族も出るし、なんと阿南大臣の妻が切腹の日に官邸まで、遠路はるばる歩いてやってくるのだ。
さらには本木雅弘が演ずる昭和天皇が、正面切って堂々と何度も登場してくる。岡本作品では脇役扱いだった昭和天皇が、ほぼ主役級に昇格しているから驚きだ。これには賛否両論あると思うのだが、私には分かり易くて良かったと感じられる。
ただ岡本作品の時代はまだ映画が全盛期であり、存在感のある大物や個性的な俳優が大勢闊歩していた。それに比べるとテレビ全盛の現代では、全般的に俳優が小粒になり、存在感のある大物俳優と言えば、鈴木貫太郎を演じた山崎努くらいしか見つからなかったのが淋しい。
いずれにせよ玉音放送とは、我々戦後派にとって「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」だけの世界だったのだが、その裏にはこれだけいろいろな人々の葛藤と暗躍と努力があったことを、心の奥に刻んでおかねばならないだろう。
下記のバナーをクリックするとこの記事の人気度を確認できます↓↓↓
↓ブログ村とクル天↓もついでにクリックお願いします(^^♪
| 固定リンク | 0
コメント