金沢・福井・富山への旅
北陸へ旅するのは、新婚旅行以来なんと数十年ぶりである。このくらい昔になると、ほとんど初めてのようなものであるが、やはり新婚旅行だったので感慨深いところもあるのだ。
新婚旅行の時は、もちろん北陸新幹線もなく、ローカル線と路線バスを使って、大きな荷物を持ってウロウロしていたに違いない。若くなくては絶対に無理であろう、などとしみじみ懐かしさがさがこみあげてくる。
その時の主なコースは、兼六公園、東尋坊、山中温泉、能登和倉温泉、宇奈月温泉、黒部峡谷トロッコ電車などを大急ぎで巡り、かなりの強行軍であった。従ってどの温泉宿にも、夜遅く到着し余りのんびりくつろげなかった記憶がある。
さて今回のツアーコースは、話題の北陸新幹線『かがやき』に乗って富山駅へ到着。そこから観光バスに乗り換えて五箇山合掌集落へ行く。ここは庄川流域に残る合掌造りの集落であり、白山信仰の修験者や平家の落人伝説とも結びつきが深いという。庄川上流域にはあの『白川郷』があり、中流域にこの『五箇山』が存在し、ともにユネスコの世界遺産に登録されているのである。
どちらも合掌造りの建物については、ほとんど見分けがつかない。だがここ五箇山は、白川郷と比べて建物の数が少なく、観光客の数もそれほど多くなく、全般的にずっと静かである。
面白いのは、駐車場が丘の上にあり、五箇山合掌集落に行くには、眼下に集落を見下ろしながらゆったりと歩いてゆくコースとエレベーターを使う近道コースがあることである。行きは下りだから徒歩コース、帰りはエレベーターコースがお薦めである。どちらが良いかは、人それぞれの感性にもよるだろう。
初日の見学コースはこの五箇山合掌集落だけである。そしてバスは連泊予定の山中温泉『かがり吉祥亭』へと向かった。この宿はあの伊豆北川温泉・吉祥亭の姉妹店だし、阪急交通社のAランク旅館なのである程度安心して宿泊できる。まさに部屋も風呂も料理もサービスも、ツアーとしてはまあまあかもしれない。
山中温泉と言えば、昔は芸妓(芸者)さんが200人以上存在したという。だが現在では温泉芸者はコンパニオンにチェンジし、三味線に合わせて舞を舞う芸妓さんは10名以下になってしまったらしい。今回のツアーで宿に来て「山中節」などを舞ってくれた芸妓さんが、弱冠23歳の小乃葉ちゃんだ。彼女は山中に住み、美人で礼儀正しく、幼少時から踊りを習っていたと言う。お姐さん方の話では、まさに山中温泉の宝物だそうである。
ところで新婚旅行で泊まった『碧流荘』という温泉宿は、どの辺りにあったのだろうか。ここ『かがり吉祥亭』は、最近閉鎖した旅館を吉祥亭が買いとったと言うのだ。もしかすると、雰囲気が似ているのでこの宿の前身なのかもしれない。それで思い切って三味線を弾いていた超年配のお姐さんに聞いてみることにした。
その碧流荘は現在取り壊されてしまったのだが、なんとこのかがり吉祥亭のすぐ隣にあったと言うのである。偶然と言えば余りにも偶然であり、まさに奇跡的ではないか。温泉街の街並みはだいぶ変わってしまった気がするが、数十年前のひとこまが走馬灯のように脳裏の中を回転し、懐かしさの余り思わず熱い涙が頬を濡らすのであった。
さて昔話はこのくらいにして、2日目以降の旅程を話すことにしようか。ここからは思った以上に、歩きの多い旅になるのである。そしてガイド・ガイド・ガイドで、自由時間がほとんど失われることになる。
2日目は福井県中心の旅で、まずは織田信長に滅ぼされた戦国大名朝倉氏の『一乗谷朝倉氏遺跡』。ここは山城の一乗谷城下から掘り出された、湯殿跡、南陽寺、諏訪館跡などの庭園部分と、忠実に再現された城下町や武家屋敷部分の二つから成り立っている。また庭園と言っても丘の上にあり、かなり広いので結構歩かされることになる。
このあと再び観光バスに乗って除夜の鐘で有名な『永平寺』と向かう。またこの永平寺の広さが半端ではない。なんと33万平方メートルにも及ぶ広大な敷地に、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司など70余棟の建物が、樹齢600年を越える杉の老木に囲まれながら佇んでいるのである。
我々一般人はその全ての建造物に入れるわけではないが、その主要な建物を巡るだけでも一時間以上もかかるのだ。それに綺麗に磨かれた超長い階段を、滑らないように歩いてゆくのもかなり応えた。翌日になってふくらはぎの部分が痛くなったのも、この階段で普段余り使わない筋肉をつっぱったのが原因であろう。それはそれとして、まさにここはパワースポット、一生に一度は訪れてみたいお寺であることは確かである。
この旅が素晴らしかったのはここまで。そのあとは、えちぜん鉄道というローカル線にのったり、東尋坊を遊覧船から見上げたり、断崖絶壁から見下ろすなど、ありきたりの観光コースが続き、再び山中温泉のかがり吉祥亭で2泊目を迎える。
そして最終日は、金沢の『ひがし茶屋街』、『兼六公園』、『金沢21世紀美術館』、『加賀藩武家屋敷跡』などお決まりの観光コースを訪ね、金沢駅から北陸新幹線かがやきに乗って帰路につくのであった。
ちょこっと前述したが、とにかくガイドによる案内の多い旅で、『永平寺』の雲水によるガイドは別として、『一乗谷朝倉氏遺跡』、『加賀藩武家屋敷跡』、『兼六公園』などのガイドは余りありがたくなかった。と言うのも、ことにボランティアガイドの力が入り過ぎて、小学生よろしく一時間もべったりくっついて行くので、自由に散策する時間が全く無かったからである。
まあ人それぞれだが、私に限って言えば、ガイドは最初の15分位でポイントを話すだけにして欲しい。あとは分かり易い地図をもらうほうが、ずっと良いのではないかと感じた。いずれにせよ、午後10時過ぎに我が家に辿り着いたときは足がパンパンで疲労困憊状態。「あーあ疲れた、やはり家が一番だね。」と我が家の良さを再認識することこそ、隠れた旅の目的なのかもしれない。
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