ゴジラへの熱き思い
ネットを通じて映画のレビューを書いている人達は、概ね50歳代以下であろうか・・・。従って1954年に製作された「ゴジラ第一作」を映画館で、生で観た人は余りいないはずである。映画と言うものはゴジラ映画に限らず、製作された時代にその時代を背中に感じながら、映画館のスクリーンで観なくては、本当の感動を味わえないはずである。
すでに伝説化してしまった感のある「ゴジラ第一作」であるが、何を隠そう私が生まれて初めて観た映画が、この「ゴジラ第一作」だったのである。まだ幼稚園児の頃に、祖母に連れられて当時まだ明大前の駅前にあった「明正館」でこの映画を観たのだが、余りのカルチャーショックのためか、60年経った今でもはっきりとその内容のほとんどが脳裏の底にこびりついている。
子供だったせいもあるが、それ以上にそれまで観たこともない「高度な特撮技術」に翻弄されてしまったことも確かである。だから祖母に中に人間が入っているのだと聞いた時も、きっと何十人もの人々が肩車をして中に入っているのだと思い込んでいた。
また荒隠しが可能で恐怖感を煽る映像を演出できるモノクロという応援もあった。それに前半はゴジラが登場するまでのイメージ創りに終始し、ゴジラの全身が登場するのは、後半に入ってからという盛り上げ方も巧かった。さらには当時問題になっていた米露の「水爆実験」に対する批判的なメッセージが込められているところも、単なる怪獣映画とは一味違っていたと言えるだろう。
さてその後、何度も「ゴジラ映画」を観ることになるのだが、第二作の「ゴジラの逆襲」はアンギラスの造形が、巨大亀の子タワシの着ぐるみようで、子供ながらに失笑してしまう始末。これは多分、本来四つん這いの恐竜のはずなのに、人間のように足が長いのが目立ってしまったのが敗因であろう。お蔭でこのアンギラスと戦ったゴジラまでが陳腐な着ぐるみに見えたばかりでなく、街も自衛隊も全てがチンケな模型になってしまったのである。
そしてその後のシリーズではウルトラマンよろしく、全てがゴジラVS○○という怪獣プロレスゴッコに成り下がり、ゴジラ自身も正義の怪獣になって顔付まで優しくなってしまうのだ。さらに赤塚不二夫の漫画『おそ松くん』で当時流行った「シェー」や、加山雄三の「幸せだなー」をゴジラがやってしまう始末。もうこうなると青年期へと成長してきた私は、ゴジラシリーズを観る気力を喪失せざるを得なかった。
そんな中、ゴジラシリーズも1975年の第15作「メカゴジラの逆襲」で一段落するのだが、1984年に突如9年間の沈黙を破って「平成ゴジラシリーズ」が開始されることになる。この再開した通算第16作目は怖いゴジラの復活であり、ゴジラとプロレスする怪獣も登場しなかったのだが、結局はその5年後に公開された「ゴジラvsビオランテ」から再びプロレスショウが始まってしまうのであった。
それでまた私は、暫くの間ゴジラ映画から遠ざかることになる。結局私のイメージするゴジラは、幼年期に祖母と一緒に観たあの怖くて堪らなかった「ゴジラ第一作」がトラウマになっていて、どうしてもプロレスゴッコのゴジラは受け入れられなかったのかもしれない。
またゴジラがいつも不死身で、どんな攻撃を受けても平気の平左というところが現実離れし過ぎて退屈感を引き起こしてしまう。どう考えても火山の中に落ちても死なないと言うのは、もう生物ではなく幻覚であるとか、悪魔であるとかしか考えられない。
あの第一作のゴジラでさえ強すぎると思うのだが、最後にはオキシジェン・デストロイヤーで骨だけになったではないか。つまり死ななくなった時点で、もう本物のゴジラは消失してしまったのである。
(現在上映中のハリウッド版「GODZILLA ゴジラ」については、次回レヴュー予定である)
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