★★★☆
製作:2014年 米国 上映時間:123分 監督:ギャレス・エドワーズ

ハリウッドでゴジラ映画を創ったのは初めてではない。1998年にローランド・エメリッヒ監督によって製作されているのだが、その造形が大トカゲのようで、日本のゴジラファンからは「こんなのはゴジラじゃない」という声が頻発され不評の洗礼を受けてしまった。しかし造形は異なったものの、パニック度や生物感の秀逸さには、さすがハリウッドのVFXと唸ってしまったものである。
だが今回の作品については、少なくともその造形や動作については、かなり日本のゴジラに近づいており、前回文句を言っていた日本のゴジラファンの多くも一応は納得しているようだ。とは言っても、相変わらず迫力が足りないとか、水爆に対するメッセージが薄いとか、果てはゴジラの登場シーンが少ないと、思い込み風の文句を垂れている輩もいる。まあ個人の趣向の問題だから、いろいろな意見があっても良いと思うが、この作品は「日本のゴジラ」ではなく、「ハリウッドのGODZILLA」なのだということを忘れないで欲しい。
ハリウッド映画の市場規模は日本の映画の何十倍もあり、それを観ている人の数は邦画を観ている人の数とは比べ物にならない。従って映画がエンターティンメントであり、かつより多くの興行収益を目標としている限り、一部の日本人観客の希望に沿えなくとも、その他全世界の絶対的多数に及ぶ観客たちの期待を裏切る訳にはゆかないのは自明の理であろう。従ってそれを念頭に置きながら、冷静な心持ちでこの映画のレヴューを書こうではないか。
さて日本のゴジラ映画と言っても、そのテーマと内容は大きく三つに分類されるはずである。一つ目のグループはゴジラ自体の怖さを強調した「ホラー的パニック映画」であり、僅かに第1作目と第16作の2本だけで、ともにタイトルはシンプルに「ゴジラ」であった。
二つ目のグループはゴジラが人類の味方になり、悪い怪獣を退治すると言う子供向けのシリーズである。これは青年期から成人期の私にとって、余りにも気恥ずかしくなる内容で、ゴジラ映画から遠ざかる原因となった作品群だ。
三つ目は平成に入ってからのシリーズで、ゴジラの怖さを描きつつ他の怪獣やロボットとのプロレスバトルを繰り広げるもので、ある程度は大人の鑑賞に堪えられる創り方をしている。つまり二つ目のグループの作品を少年時代に観て、大人になった者たちを対象にしたような感があるのだ。
このように日本のゴジラでも、その製作された時代や観客ターゲットによって、かなりその作風や造形まで異なっているのだから、ハリウッドが製作したゴジラ映画と日本のゴジラを比較して「こんなのはゴジラじゃない」と叫ぶ論評そのものが余り説得力がないと考える。
今回のハリウッド製「GODZILLA ゴジラ」の良いところは、絶対に死ない全く生物感のない日本のゴジラと違って、結果的には死ななかったものの、もしかすると死ぬかもしれないと感じさせたし、その動きにも躍動感と生物感が漂っていたではないか。もちろん巨額の製作費をつぎ込んだダイナミックでリアルな映像と音響にも拍手を送りたい。これこそ私が求めていたゴジラ映画であり、本当は東宝にやってもらいたかったのだが、ハリウッドだからこそ実現できたのだろう。
反面ゴジラとバトルを繰り広げた「怪獣ムートー」の造形がいまひとつ中途半端だった。いまだかつてないSF的な風貌には好感を持てるものの、やはりなんとなく重量感がなくチンケな感が拭い去れなかった。
それにゴジラの登場理由がはっきりしないし、予定調和という言葉だけで、ゴジラが人類の味方のように描かれているのも説得力がなさ過ぎる。
また渡辺謙が演じた芹沢博士の存在価値が低過ぎるのも気に入らない。極論すれば渡辺謙は「ゴジラ」と日本語で発音するシーンのためにだけ出演したようなものではないか。
まあ良い面も悪い面もいろいろあるが、総じていえば怪獣映画としてはかなり頑張ったのではないだろうか。それにしても、前作が総製作費130万円という超低予算のB級怪獣映画だったにも拘わらず、今回は巨額製作費を投入したハリウッド映画を見事に創りあげたギャレス・エドワーズ監督には敬意を表したいものである。
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