時砂の王
西暦248年、邪馬台国の女王卑弥呼は、突然おぞましい「物の怪」に襲われるのだが、「使いの王」と呼ばれる未知の人物に助けられる。実は「使いの王」とは、遥かな未来から時空を超えてやって来たメッセンジャーと呼ばれる人工生命体であり、オーヴィルの頭文字Oを王と聞き違えて、この時代では「使いの王」と呼ばれることになったのである。
邪馬台国の時代より遥か2300年後の未来においては、謎の増殖型戦闘機械群により地球は壊滅してしまい、さらに人類の完全殱滅を防ごうとその機械群を追って来たのがメッセンジャーたちであった。またその邪悪な機械軍が、邪馬台国の時代には物の怪と呼ばれる存在であった。
邪馬台国の時代を中核に描きながらも、オーヴィルたちが戦い続けてきた別の時代やパラレルワールドを交錯させながら、この壮大なストーリーは紡がれてゆく。この大作を僅か300ページ足らずの文章にまとめた技巧は実に見事である。ただそのためか、状況説明的な文章が多くなり過ぎて、登場人物の背景や心理描写などが希薄になってしまった感が否めない。
このあたりが最近のSF小説の特徴で、データー量の多さや精密な論理については申し分ないのだが、ジンジンと心に響き渡ってくるような熱い感情が湧かないのだ。ただこれが小説ではなく、映画やアニメやゲームの原作となると、小説では見えなかった映像や音源などとの融合により、迫力ある素晴らしい作品となるのだろう。事実この作品もハリウッドで映画化されることが決定されたようである。
もし若者たちから、「それが現代SFなんだよ、おっさん!」と叱られれば、「さようでございますか、勉強不足で申し訳ございませんでした。」と応えるしかないだろう。ただ良い悪いは別にして、星新一や小松左京たちが活躍していた頃のSFと比べると、もう全く別ものと言って良いほど、最近のSF小説は変わってしまったのだろうか。
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