最近よくツアー旅行を利用するようになった。ツアーの良いところは、当日まで全く無計画で良いこと。それでいてくまなく、びっしりと旅程がスケジューリングされていること。そしてなんと言っても費用が安いことである。
ただ問題点としては、時間制限があり、ゆったりとしたい場所でも、決められた時間内で戻ってこなくてはならないこと。お土産ばかり無理やり買わされて、美味しいものを余り食べられない。またゾロゾロと蟻のように移動するので、しんみりと風情を味わうことが出来ないこと。
ツアーはこのような長所と短所を合わせ持つが、これだけツアーが流行っている事実をみれば、やはり長所が短所を上回っているのだろう。さてツアー談義が長くなってしまったが、今回のツアーコースは大むね次の通りである。
1日目)伊勢神宮参拝とおかげ横丁めぐりをして、伊勢志摩の的矢泊
2日目)瀞峡船めぐり、熊野速玉大社、熊野古道から那智の滝を観て、熊野那智大社・青岸渡寺を参拝し、勝浦温泉泊
3日目)熊野本宮大社を参拝し、十津川上流に掛かる「谷瀬の吊り橋」を渡る。そして龍神スカイラインから高野山・奥の院へ
とまあこんな旅の予定であった。
初日の伊勢神宮参拝とおかげ横丁めぐリは、これで2度目になるのだが、かなり昔のことなので、伊勢神宮の玉砂利以外は何も覚えていない。おかげ横丁の「おかげ座」で江戸時代の人形パノラマを観て、赤福本店で名物赤福を食ベた。赤福のあんこが波うっているのは、近くを流れる五十鈴川の流れを表現したものらしい。
宿は的矢では一応Aクラスの伊勢志摩ロイヤルホテルで、部屋の窓から眺める的矢湾の風景はまさに絶景であった。ただこのホテルの問題点はエレべーターが超遅い事だ。そんなに古いエレべーターではなく、3台並んでいるのだが、なにせ13階建で各駅停車になるのがネックなのであろう。
さて2日目は一番ハードなスケジュールであるが、一番楽しみな旅程でもある。ことに瀞峡船めぐりと、熊野古道から那智の滝への旅は楽しかったね。
瀞峡船めぐりはウォータージェット船で岩壁をすり抜けてゆくのだが、これが実に爽快である。昔はプロペラ船だったが、速度が遅いことと騒音により、ウォータージェット船に切り替えられたらしい。どちらにせよ浅瀬を走るため、スクリューを使わないためのアイデアのようである。げいび追分を歌いながら手こぎの船でめぐる岩手の猊鼻渓のような粋な雰囲気はないものの、大自然のスケールでは、あきらかにこちらに軍配があがるだろう。
このあとの神社めぐりはもう満腹の感があったが、約500段の石段を登る熊野那智大社からの眺望は圧巻である。どことなく四国のコンピラさんに似ている気配があった。熊野古道は、ほんの20分間のさわりだけだったが、沢山ある熊野古道入口の中では最も人気のあるスポットらしい。
ギッシリと中味の詰まった2日目であったが、今宵の宿は勝浦温泉・ホテル浦島である。ここは宿まで亀型の船で渡って、6種類の風呂を堪能することが出来るのだ。まさに龍宮に訪れた浦島太郎の気分になれる訳である。これで本日の疲れを癒すという仕組みなのね。
6種ある風呂のうちでも、自然の洞屈を利用した「忘帰洞」という風呂はとてつもなく凄い。風呂のまん前まで波が打ち寄せて、岩に砕けて散る風景は、まるで東映のシンボルのようであった。
さて泣いても笑っても最終日である。ここまでは晴天に恵まれて、とても良い旅気分であった。十津川の流れに沿って山奥にバスを走らせ、谷瀬の吊り橋へ向かう。
この吊り橋は昭和29年に、生活用のためのつり橋として村落の住民が大金を出して造ったと言う。長さ297m・高さ54mで、生活用の吊り橋としては日本一の長さだと言う。それで危険なので、一度に20人以上渡らないようと注意書きもあった。
ところが時間の都合もあってか、いつの間にか添乗員が一度に50人位渡らせているではないか。実際に渡ってみると、大きく揺れるし、薄い渡し板がメリメリと音を立てるのである。それで真ん中まで行ったところで引き返えしてしまった。こんなことを繰り返していたら、きっといつかは事故が起きるのではないだろうか・・・。さてそんな訳で早めにバスに帰ると、すでに添乗員が昼のお弁当を配っていた。これがとても可愛いのだ。とにかく見て見て。
そていよいよ最終目的地の高野山へ向かうことになったが、龍神スカイラインの工事渋滞を避けるため、狭い山道を迂回したのが裏目に出てしまった。迂回山道を延々と走り、峠を越えたところで「工事中で通行止」の立札が立っていたのである。
高野山奥の院まであと一歩の場所であったが、通行止では戻るしかない。4台のバスが連なって、今来た道を戻ってゆく姿は実に悲惨であった。分岐点から一番近い道の駅で旅行会社の本社に連絡した結果、結局高野山奥の院行きは中止となり、急遽奈良の法隆寺行きに変更になってしまったのである。
乗客はもちろんの事、バスガイドも添乗員もガックリと肩を落としている。それまで明かるかった車内は、急に暗い雰囲気が充満し始めた。通行止の情報は、バス会社にも最寄りのお土産屋さんにもなかったという。また県境のためか、手前の分岐点にも通行止の表示がなかった。などなど言い訳けばかりしている。
しかし本質的にこのルートに無理があったことは否めない。「谷瀬の吊り橋」を経由するルートはかなり厳しいのだ。それでなくても、狭くて蛇行している道路上で、ジャリトラとすれ違うたびにバスがバックして、ギリギリの通行を繰り返していたのである・・・。
そして代替策の法隆寺に着いたのは、秘宝展終了間際の4時10分前だった。このハラハラドキドキの綱渡りを乗り切り、新大阪駅19時40分発の新幹線に無事乗ることが出来た。まずは、めでたしめでたし。添乗員さんご苦労様でした。後日、旅行会社からコース変更のお詫びの手紙があり、一人当たり5000円返却するとのこと。薄利多売でこんなリスクを背負っている旅行会社も大変だよね。
最後にクリックしてランキングを確認してくれると嬉しいな↓↓↓
人気blogランキングへ
↓ブログ村とクル天↓もついでにクリックお願いします(^^♪
最近のコメント