アキレスと亀
★★☆
前作の『監督ばんざい』を観て、もう2度と北野武の映画は観ないと決意したのに、タイトルと共演の樋口可南子に惹かれて、またまた劇場に足を運んでしまった。どうして僕は、こうも意志薄弱なのだろうか。自己嫌悪、自己嫌悪…。
『アキレスと亀』とは、古代ギリシャの哲学者ゼノンの考えたパラドックスで、いくら足の速いアキレスでも、先に出発した亀を追い越せないことを、屁理屈を用いて論証している。まさに北野がいくらもがいても、いつも同じ発想から、全く脱却出来ないことを論証しているようなものだ。
この作品は、主人公の画家の少年時代、青年時代、中年時代の三部構成になっている。少年時代編と青年時代編を観た限りでは、タケシもやっと人並みの映画を創れるようになったな、と少し嬉しくなりながら鑑賞していたのだが…。
それなのに、タケシ自身が主人公になった中年編に突入した途端に、全てがぶち壊されてしまった。どうしてこの男は何十年も同じシナリオと演技しか出来ないのか。そして『残虐』という、かびの生えたシチュエーションしか頭にないのだろうか。
この男の頭の中をかち割ってみれば、きっと暴力と自已愛と残虐非道さだけが渦巻いているに違いない。妻に寝ることも許さず労働を強いたり、絵を描くためにプロボクサーにボコボコに殴らせたり、挙句の果ては、娘に売春させた金で絵の具を買う。
こんなのは、芸術家でも何でもない。ただ女を利用するだけのチンピラ暴力団員そのものではないか。また本人はギャグのつもりで挿入している小話シーンも、いつも同じパターンで退屈の極みだ。無理に笑いをねだっている落ちぶれ芸人のようで、ただただ苦笑するしかない。
いずれにせよ、この男の作品は処女作『その男、凶暴につき』の一作で終っている。あとは全てが、その亜流に過ぎず、その主張するところもその演技ぶりも、単に自分自身を地のまま描いているだけじゃないの…。
百歩譲って、監督としては優れた資質を持っていると譲歩したとしても、役者としては超三流以下である。頼むから、今後は監督だけに専念し、決して主役としてシャシャリ出ないで欲しい。出演したとしても、ヒチコックのように、チョイ役でちらりと顔を出す程度にして欲しいものである。
せっかく頑張っていた子役や、麻生久美子、樋口可南子、それに中尾彬、大杉漣などの脇役陣に申し訳けないと思わないのだろうか。いつもながらのことだが、この男には愛というものが全く感じられない。まさに身勝手、自己中の権化のような男だね。ただそのことを一番良く判っているのは北野武本人かもしれない。だからこそこの映画を、苦悩する自分自身の鏡として創り上げたと考えられないだろうか。
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