鬼婆
★★★☆
安達ケ原の鬼婆をイメージしていたのだが、そんな生易しい代物ではなく、妖怪以上にドロドロした人間の欲望を塗りたくったような生臭い作品であった。
時は南北朝時代。戦に狩り出された息子の帰宅を待つ姑と嫁の二人は、殺した落武者達の鎧や刃を売りつなぎ、辛うじて生活の糧を得ていた。
そこへ同じ村の若者が、命からがら戦場から逃げ帰ってくる。男の話で、息子が既に生きてはいない事を知った姑は、一人逃げ帰った男を罵倒し、嫁は失望し嘆き悲しむ。
しばらくして、男は女が欲しくて堪らなくなり、しきりに嫁を挑発するのだが、嫁を奪われることを恐れる姑に邪魔をされる。だがとうとう男の誘いに堪えられなくなった嫁は、姑が寝込んだことを確認すると、疾風の如く男の家へと走り続けるのだった。
鬼婆 販売元:パイオニアLDC |
この映画には、黒澤作品のようなエンターティンメント風味もなければ、心にジ~ンと染みこんでくるものもない。そこにあるのは、ただただ醜い人間の欲望だけなのである。
吉村実子が、豊満な乳房やアンダーへアーを晒しても、興奮するどころかドキッともしなかった。ましてや老いた乙羽信子のヌードなど、観ていて辛くなるほどである。この暗さと苦渋に満ちた呪いのような映像こそが、新藤兼人監督の持ち味なのだろう。
広大なすすきが原に小さなアバラ屋がある以外は何もない。全ての登場人物がわずか14人という超低予算映画。だが妙にそのモノクロ画面に心が惹かれる。その魔化不思議な高揚感こそが、この作品が邦画史に残る名作と言われる所以なのかもしれない。
また少ない演技陣の中でも、「帰ってきた男」を演じた佐藤慶の自由闊達な悪役ぶりが光っていた。誘いはかけるものの、絶対に彼のほうから、嫁に手を出さない。またうるさい姑にも暴力を振わない。
村の掟というか最低限の仁義は守って、最後の一線は超えないのだ。そんな彼が悪役に見えるのは、あくまでも姑視点でこの映画が創られているからなのだろう。
そのあたりの微妙な雰囲気は、新藤監督の演出と佐藤慶の演技力が、巧みに絡みあって創り出した技に違いない。いずれにせよ、この映画が名作たり得たのは、彼の存在が大きく影響していることは否めない。
さてこの映画が先なのか、後なのかは知らないが、「面が外れなくなる」という話は、その昔に映画かマンガで何度か見たことがある。鬼のような心を持つ老婆が、しまいには肉体までもが鬼になる…とは、今昔物語あたりにもありそうな話だ。
またこのようなテーマの絞られた低予算映画で100分も費やす心要があったのか。そのくせ、結末が中途半端であっけなかったのは、矛盾しているし消化不良とも言えるだろう。今後はこうした風味の邦画は絶対に生まれないだろう、と感じさせるほど癖のある個性的な作品であることは間違いない。
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