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2006年4月の記事

2006年4月29日 (土)

家の鍵

06/04/21
★★★

 もちろん岩波ホールという名前は知っていたが、中に入るのは初めてだった。ここは神保町交差点にあるビルの10階にあり、地下鉄と繋がっているため、雨に濡れずに済むというアクセスの良さがある。
 また出版街の中心にあり、しかも岩波の名を冠していること、そしていつもマイナーな名作を単館上映するということで、インテリや映画通の自尊心をくすぐる存在のようだ。

Scan10006  館内は古くて暗くて、スクリーンも小さいのだが、どことなく清潔でシンプルで、インテリの匂いがするようだった。
 さて本日鑑賞した作品は、若い頃に過ちで捨てた障害者の少年を、介護し一緒に暮らそうと決心する父親の、苦悩と愛情を描いたイタリア映画である。
 まっとうに会話をする登場人物はほぼ3名であり、前半の舞台はほとんどが病院周辺なので、変化がなくかなり退屈であった。そして、ちょっとでも会話を聞き漏らしてしまうと、何が何だかよく判らなくなってしまう会話劇のようだっだ。
 それにしても主人公の少年の演技は、神がかり的であった。いまだに本物の障害者なのかもしれないと思い込んでいる。そのしぐさや動作はもちろんのこと、さっき言ったことをすぐに覆す態度には、僕までがイライラしてしまったくらいだ。まさに天才少年である。

 それに引き換え、父親役の男優は余りにもハンサム過ぎて、まるで兄貴のようだし、彼の苦悩や愛情がヒシヒシと心に伝わってこなかった。それがこの会話劇を退屈にしてしまった最大要因かもしれないな・・・。それから、シャーロット・ランプリングのわが子に対する『疲れ切ったあの言葉』は、かなりショッキングなセリフだった。しかしあれが人間の本音なのだろうか・・・レビュー者泣かせの難しいテーマである。
 テーマと構成は決して悪くないのだが、天才少年の抜群の演技力に頼りすぎてしまったような気がする作品だった。

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2006年4月26日 (水)

Vフォー・ヴェンデッタ

★★★☆

 新宿東急の前は、この映画を観る若い人々で大行列であった。劇場の中に入るとほぼ満員で、ハリーポッター以上に混み合っているではないか。

Scan10003  第三次世界大戦後、ウイルスに汚染され独裁者に牛耳られた英国社会から、自由と平和をとり戻そうと立上がった、Vと呼ばれる仮面の男のテロ活動を描いた映画である。いわば近未来社会派アクション映画という、きわめて珍しいジャンルの作品ではないか。
 そして原作は英国のコミックであり、脚本はあのマトリックスのウォシャウスキー兄弟だというから、これほど前評判が高くなったのだろう。
 オープ二ングに中世の処刑シーンが登場するが、これは1605年11月5日の『Guy Fawkes Day』を示唆している。そしてVの最終目的とは、過去にGuy Fawkesが成し得なかった、国会議事堂の破壊と自由開放革命にあるのだった。
 ストーリーそのものは、さほど目新しいものではないし、怪傑ゾロにナチスをかけ合わせたような展開も、残念ながら僕の好みではない。
 ところでVを演じたヒューゴは、一度もその素顔を晒さなかったが、仮面を被ったままでの演技力は抜群に素晴しかったね。まさにあの「もの悲しげに微笑む」仮面の表情には、この世を超越した不思議な魔力が潜んでいるかのようだった。
 ひとつ良く判らなかったのが、監獄でナタリーを拷問に処する必然性だ。このシーンはナタりーが丸坊主にされる話題のシーンであり、彼女も必死に演じた重要なシーンでもある。ただこのシーンの意図するものが、「拷問による意識のめざめ」などという暴力肯定の論理だとすると、ちよっと受入れ難い気がしてしまうのは、決して僕だけではないだろう。

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2006年4月24日 (月)

春が来れば

★★★★

 主人公のヒョヌを演じるのは、オールドボーイのチェ・ミンシクである。
 彼は音楽家をめざすが、毎年オーケストラのオーディションに受からず、満足出来る仕事に有りつけないまま、いつの間にか中年になってしまったのだ。
 彼の心はだんだん荒んでゆき、出世した友人を罵倒し、愛する彼女とも別れる決心をする。そしてついに同居している母の元をも離れて、一人田舎の中学校の音楽講師として赴任することになってしまうのだった。

Scan10018  韓国の田舎の風景は、日本の風景とどことなく似ている。そしてその土地に住む人々の心が暖かいところも同じである。
 初めは中学生達を鍛えて、音楽コンクールで優勝するという、スポコン系のドラマかと思ったが、どうもそうではなかった。
 この作品で描きたかったのは、人の心の弱さと優しさ、強さと暖かさではないだろうか。胸が熱くなるシーンが多かったが、それは決してむりやり泣かせるわけではない。さりげない会話や行動の中で、自然と涙が流れてしまう構造なっているのだ。
 ラーメンをすすりながらの母との電話。海辺で少年が吹く、トランペットの美しい曲。炭鉱で奏でる、元気一杯の吹奏楽。露天商の老婆との会話。薬局の美少女の純真な心。などなど、言葉だけで書いても判らないが、これに映像と役者さん達の演技が加わると、なんともいえない郷愁を感じてしまうから不思議である。
 ことに口うるさいが、いつも息子のことを心配してくれる母親の存在は、とてもありがたいものだ。僕のおふくろも、晩年の数年間を除けば、いつも僕や弟の心配ばかりしてくれたものである。
 こうして主人公は、次第に生きる勇気と喜びを体感し、より強くより優しく生きることを決意することになるのである。久しぶりに、とても心暖まる後味の良い映画でした。
 
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2006年4月18日 (火)

地下鉄(メトロ)に乗って

 直木賞『鉄道員(ぽっぽや)』を書いた浅田次郎が、吉川英治新人文学賞を受賞した作品である。
 過去にタイムスリップして、自殺した兄を助けに行ったり、反目している父の若かりし日を訪ねるため、「戦後」、「戦中」、「戦前」、「戦後」・・と時間軸を行ったり来たりする。

地下鉄(メトロ)に乗って Book 地下鉄(メトロ)に乗って

著者:浅田 次郎
販売元:講談社
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 ところで地下鉄のことを「メトロ」と呼ぶのはフランスであり、イギリスでは「チューブ」とか「アンダーグラウンド」、アメリカは「サブウェイ」で、ドイツでは「ウーバーン」と呼ぶらしい・・・。日本では「メトロ」という言葉が一番馴染んでいるし、なんとなくそこはかな郷愁さえ感じてしまう。ことに銀座線丸の内線には、ピッタリの呼び名であろう。
 さてこの話を読み始めたときは、古い地下鉄の出入口が、『タイムトンネル』になっていると思っていたが、どうもそうではないらしい。家で眠っているときにも、タイムスリップしてしまうからだ。
 結局なぜタイムスリップしたのか原因も判らずじまい、もしかすると全てが主人公の妄想か、夢だったのかもしれない・・。しかしもしそうだとすると、何故「みち子」が登場したのか説明し辛くなってしまう・・・その辺りは曖昧であり、エンディングも余り歯切れが良くなかった。
 どうして浅田次郎の作品は、いつも切なく救われない話が多いのだろうか。確かにこの小説はSF的な手法を使ってはいるが、実は似たもの同士の「父と息子の確執と苦悩」を描いた心理小説と言えないこともない。
 そしてこの場合、「みち子」の存在は、嫌悪していた父と同様に、主人公も愛人を持ちたいという願望が作り出した妄想だったと、解釈するしかないだろう。そしてそれを皮肉な結末と結びつけると、主人公の父に対する激しい愛憎と情念を体中に感じてしまうのだ。
 確かに父と息子の関係は難しい。息子にとって父親は、なくてはならない存在なのだが、父親がその存在感を示せば示すほど、若い息子は父を恐れたり憎んだりするものである。
 やがて父が死んで息子が成長したときに、初めて父の偉大さを知り、父を尊敬する時が来るだろう。さてさて父親とは、なんと報われない存在なのだろうか・・・。

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2006年4月16日 (日)

サウンド・オブ・サンダー

★★★☆

 決算で忙しくて、だいぶ長いこと映画館に行けず、かなりストレスが溜まりましたが、やっとこの映画を観に行くことが出来ました・・・。

 本作は、レイ・ブラッドべリの短編いかずちの音』を映画化した、時間テーマSF作品である。さて話の内容だが、近未来でタイムマシンが完成され、大金持ちの間で時間旅行が流行する。ところが客の一人が規則を破り、大昔の世界から『あるもの』を持ち帰ってしまう。そのおかげで生態系が変化し、現代に戻ると大異変が起きてしまう・・といったお話なのである。

Scan10001  何故かネットでは、この映画の評判がすこぶる悪い。しかしそれでブルってしまっては、「時間テーマ好き」の名が廃る!・・・・と言うわけでつまらなくてもともと、という気持ちで映画館に足を運んだのだが、良いほうの期待外れであった。
 確かに全生物の再構成という、人類の危機を描く「超々大スペクタクル巨編!」にしては、余りにも登場人物が少な過ぎるし、軍隊も出動しないのはどうしたことだろう。そのうえ恐竜のCGもゲーム並だった。つまりB級に限りなく近い映画なのである。たぶんこれが悪評の原因なのかもしれない。
 しかしB級好きで、時間テーマの虜になっている僕にとっては、非常にワクワクドキドキの楽しい映画だった。殊にイグアナとゴリラの合いの子のような進化した恐竜達には、妙に納得してしまった。たぶん爬虫類が進化すれば、類人猿のようになるのだろうな・・・。
 またタイムマシンで戻ったときに、いきなり環境が変わるのではなく、序々に変化してゆくのである。この変化のタイミングは、間の波」が押し寄せるたびに起こる、というアイデアも面白かった。もちろんそうしないと、戻ったとたんに映画が終わってしまうけどね・・。
 まぁ何を期待してこの映画を観たのか、という部分の違いで、この作品の評価も大きく分かれるところだろう。

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2006年4月 9日 (日)

未来(あした)のおもいで

 工藤静香主演の『未来の想い出』という、やはりタイムスリップものの映画があるが、それと本作品は全く別物なので間違えないで欲しい。本作は『黄泉がえり』の原作者である梶尾真治の、SFファンタジー小説である。
 デザイナーの滝水浩一と、27年後の美女「藤枝沙穂流」は、白鳥山頂で突然起こった時空のゆがみに巻き込まれ、時を超えてめぐり逢うことになる。そのときは時空を超えたことにも気付かず、短かい会話を交しただけで別れるが、それぞれが元の世界に戻ると、お互いに忘れられない存在となるのだ。

未来(あした)のおもいで Book 未来(あした)のおもいで

著者:梶尾 真治
販売元:光文社
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 ただいつも未来と過去の時空が繋がっている訳ではないので、その後はなかなか逢えない。ところが山頂のある場所だけは、時空が重なっているのか、物だけは時空移動が出来るのだった。
 そこで二人が考えたのが、箱の中に手紙を入れて、「時空文通」をすることだった。どちらがパクッたのかは不明だが、このアイデアは韓国映画『イルマーレ』と全く同じなのである。
 このストーリーの後半、27年後の世界で沙穂流が、滝水の友人だった長者原という初老の男に会った時点で、全ての結末が推測出来てしまった。もう少しドキドキ・ハラハラさせて、ラストにどんでん返しがあっても良かったのではないか。余りにも予想通りにサクサク進んでしまったのが少し残念だ、もうひと捻りの工夫が欲しかった・・・。
 文庫本で239頁、そのうえ活字が大きく行間もゆったりしている。その上、平易で判り易い文章なので、通勤の行き帰りで、あっという間に読破してしまった。
 多少もの足りなさを感じたが、タイムスリップものが好きで、清潔な純愛に憧れている人なら、爽やかな感動を味わうことが出来るだろう。

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2006年4月 5日 (水)

沖で待つ

 平成十七年度下半期の芥川賞受賞作品である。大手住宅機器メーカーの総合職OLと、同期の男性との間でかわされた『ある約束』を描いたお話。
 選考委員のセンセイ方の中に、この作品の中に「新しさ」を発見したと、べタホメ論評を書いている人がいたが、思わず失笑せずにいられなかった。昔、出版社に籍を置いていたので判るのだが、純文学指向の作家センセイは、世間知らずが多い。ほとんどのセンセイ方が、上場会社とかサラリーマンとか、OLのことなど何も知らないのだ。

沖で待つ Book 沖で待つ

著者:絲山 秋子
販売元:文藝春秋
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 確かに読み易く、筋立ての構成は上手であるが、内容については「新しさ」どころか古臭いくらいである。この小説にある同期男女間の友情などは、大卒女子が急増したバブル期頃から、よくあることであって、ことさら珍しいことではない。ストーリーもOL時代の思い出話を、多少脚色したような臭いがする。まぁ純文学とは、昔からそういうものだ、と言われれば、ごもっともと、挨拶するしかないのだが・・・・
 またこの手の話は、OLの書いているブログを見れば、ゴマンと出てきそうである。タイトルの『沖で待つ』というネーミングだけは、芥川賞らしいのだが、そのイメージとはほど遠い内容であった。それでも最近の受賞作の中では、まだまだましなほうであろう。
 芥川賞といえば、青年時代に憧れの的であったが、この程度の作品で受賞出来るのだから、その権威も地に落ちたものだ。
 選考委員の一人である石原慎太郎の言うように、作品の全体的なレベルが下がっているのか、あるいは選考委員側の選考レべルが下がっているのかは、ノミネートされた全作品を読めない私達には知る由もない。
 かなりキツイレビューになってしまったが、決して絲山さんを非難するつもりで書いた訳ではないので、誤解無きようお願いしたい。・・・どちらかと言うと、選考委員と主催出版社に対する、小人物のいいがかりだと思って欲しい。

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2006年4月 3日 (月)

エレクトラ

★★★

 『デアデビル』のヒロインだったが、悪人に殺されてしまったエレクトラを主役とした映画である。この作品では一度死んだ彼女が、忍者集団によって蘇生され、暗殺者として生まれ変わるのだ。

エレクトラ DVD エレクトラ

販売元:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
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 エレクトラ役のジェニファー・ガーナーは、『デアデビル』の時には明るく可愛い感じがしたが、本作ではだいぶ肉体も絞り込まれ、筋肉質で暗いイメージの女に変身してしまった。もちろん、この作品の役処は暗殺者なので、それはそれで良いのだが、個人的には、『デアデビル』の彼女のほうが好きかな・・・   だから『デアデビル』で彼女が殺されたことに、かなり腹を立てたものだ。

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 エレクトラは『超人』ではなく、どちらかと言えば『達人』である。本作では彼女が属する忍者集団と、対抗する忍者集団が、ある「お宝」を巡って争奪戦をするのだが、まるで邦画の『SHINOBI』のような展開であった。
 殊に敵の五人衆は、それぞれが特異体質を得意技としているので、忍者というよりは、ミュータントという感じがした。例えばその中の一人に、ボブ・サップが入っているのだが、彼はショット・ガンの弾もはじき返すという、強靭な皮膚を持っているのだ。
 まるでマンガである・・・というよりは、アメコミの実写版そのものなのだから仕方ない。ここは難しいことを考えずに、スピーディーで派手なアクションを楽しく観るしかないだろう。
 ちょっとB級の臭いがするが、エンターティンメントとしては、なかなか面白い映画ではないだろうか。ただエレクトラに色気を感じなかったのがちょっと残念だ。それ以上に、あの「お宝」の力が陳腐だったのは、大きな致命傷となるだろう。
 せめてラストバトルで、「お宝」がスーパーパワーを発揮してくれれば、大勢の忍者達が、命をかけて争った価値を認められたのにね!。思わずガクッと肩を落としてしまった。

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2006年4月 1日 (土)

理由

 さすが直木賞受賞作である。宮部流の情報収集力は、いつもながらと感心するが、本作品はそれに加えて複雑な人間関係を見事に収束している。それはいくつかの河の流れが、次々と本流に引き込まれ、ついには大海の渦潮に吸い込まれるが如くであった。
 ストーリーは、「高級マンション家族全員殺戮事件」の犯人らしき人物が発見されるところから始まる。そして殺害された人々や、犯人及びその周辺の人々の家族関係を克明に描いてゆく。

理由 Book 理由

著者:宮部 みゆき
販売元:新潮社
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 また文体のほうも、事件の全貌を知っている記者が、事件の細部にわたってまとめたレポートを、再度一つ一つ丁寧に検証してゆく・・・というようなスタイルをとっている。従って、ところどころで、インタビュー形式の会話が織り込まれるというような、新趣向に最初は多少戸惑ったが、慣れるとなかなか面白い手法だと思った。
 さてここまでの紹介文を読めば、誰でもこの作品が社会派ミステリー小説であることは、すぐに察視がつくだろう。ただし「犯人探し」や、「犯行の動機」については、途中でほぼ見当がつくので、ラストでの種明かしには、さほど驚かない人が多いかもしれない。
 ところがこの作品は単なるミステリーではなく、マンション殺人事件を源流として、そこに関わるいろいろな家族の心情を描き、「家族とは一体何だろう」という命題について、強烈なメッセージを送っているのである。
 また家族の中でも、殊に「親子」の関係について深くメスを入れている。親がいるから自分もいるのだが、私も青春時代に「生まれたくて、生まれた訳ではない、何故生んだんだ!」などと馬鹿なことを言って母を悲しませたことがあった。
 小さなときは父母の存在が全てであるが、ある程度一人立ち出来るようになると、口うるさい親が段々疎ましくなってくるのは、世の習いなのだろうか。だからと言って一人で暮らすのは、淋しいし不経済である。ましてや最近の子供達は、一人一部屋を与えられ、TVやケータイなどの小道具も所持し、ある程度の自由を既に手に入れてしまっている。
 また親のほうの立場からしても、自分自身の自由だけのために、家族を捨てて家を出るわけにはゆかない。それは会社を捨て、社会から非難され、友人や財産も捨てることになるからである。
 従ってこの物語に登場する数人については、かなり追い詰められた事情があったことになる。その中には、生まれながらに不幸な運命を背負った者もいるが、ちょっとした考え違いから、いきなり不幸のどん底に突き落とされた者もいる。
 そう言う意味では、今日迄は幸せな私や貴方も、何かの拍子に明日から急に不幸に襲われるかもしれないということなのだ。なにが怖いかといえば、それが一番恐ろしいことなのである
 細かいところまで良く調べあげ、人間の持つドロドロとした部分を巧みに描いた素晴しい作品なのだが、一つだけ納得出来ない部分があった。それはこの小説の中核ともいえる『マンションからの墜落死』の原因である。ボロアパートならともかく、セキュリティーの整った高級マンションで、そんな簡単な力でべランダから振り落とされるものなのだろうか・・・ということである。
 最後に、間違いではないのだが、この小説を展開させるための要となった『短期賃貸借制度』が近年廃止されたので、その経緯などを簡単に書いておく。

 民法改正のきっかけは、この小説同様『短期賃貸借制度』を悪用して、競売による売却を妨害するケースが頻繁に続き、入札参加者が激減したためである。
 法の施行日は、平成16年4月1日であり、この改正により、「抵当権が登記された後に賃借契約が結ばれた場合」は、その賃借の期間に関わらず、賃借人は買受人が所有権を取得した時点より、無条件で6ヶ月以内に明け渡しをしなければならないことになった。

  更に宅建業者は、この内容について重要事項説明書の中で、必ず説明しなければならなくなったのである。

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