五分後の世界
まずこのタイトルに惹かれ、しかも著者が村上龍であることを知り、この古い本を読む決意をした。
文庫でわずか293頁の作品なのであるが、主人公は初めからいきなり訳の分からない戦場で、国連軍とアンダーグラウンドとの戦争に巻き込まれてしまう。そして主人公の名前が、小田桐ということ以外は全く固有名詞が出てこないのである。
五分後の世界 著者:村上 龍 |
そもそもここでいう国連軍が、我々が知っている現在の国連軍なのかも判らないうえ、「アンダーグラウンド」なんぞというのは聞いた事もない。スターウォーズの悪の帝国を真似たのだろうか・・・
そして主人公の小田桐は、訳の判らない戦闘と労働を強いられるが、彼の周囲にいる人間のほとんどが混血で、日本人は26万人しか存在しないという。さらには、オールドトーキョーだのオサカなどというスラム化された町があるという。もしかすると核戦争で人類はほぼ絶減し、わずかに残ったミュータントのような人間達が、性懲りも無くまた戦争をしているのか?それでオールドトーキョーは昔の東京のことで、オサカは大阪のことなのだろうか?・・・
などと考えるうちに戦闘シーンが激しくなり、体中が燃え尽きたり、手足や顔が肉片となり吹き飛んで、死体の山が積まれてゆく。
一体何で、こんな所にいるのか、何故こんな戦いをしているのか、小田桐は何物なのか、何も判らず説明もなく、ただただ残酷な殺戮シーンだけが延々と121頁まで続くのだ。
これではまるで、SFアクション映画ではないか!これは小説なんだろ、しかも芥川賞作家の村上龍の作品だよな!それに彼は、あとがきで最高傑作と自我自賛しているではないか、「そのうちきっと面白くなるのだ・・・」自分に何度もそう言い聞かせながら、ブン投げたくなる気持ちを押さえながら、シンドイ気分でページをめくり続けた。
121頁まで延々と続いた戦闘シーンがやっと一段落し、第5章「アンダーグラウンド」へ進む。小田桐はここから文字通り、地下にある「アンダーグラウンド」という世界へ連れてゆかれる。そしてここで、この世界の正体を知ることになるのだ。
小田桐が現在いる世界は、『五分後の世界』というよりは、なにかの拍子に迷いこんでしまった『パラレルワールド』だったのだ。そしてその世界では、今迄彼が住んでいた世界とは5分間のズレが生じていた・・・ということなのだが、なぜ5分間のズレがあるのかは、結局最後まで全く不明であった。詰るところラストシーンで『ある決心』をすることを、示唆するための一種の小道具に過ぎなかったのだろうか。
さてこの『パラレルワールド』は、大平洋戦争で日本が広島、長崎に原爆を落とされても、連合軍に降伏しないまま、さらに小倉、新潟、舞鶴にも原爆を投下され、それでも降伏せずに、延々と戦争を続けている世界だったのだ。
そして本土は、続々と連合軍に占領され、わずか26万人になってしまった日本人達は、地下2000mに逃げ込んで、そこに小都市を創ったという。それが「アンダーグラウンド」と呼ばれる場所なのである。それでも彼等は、依然としてゲリラ戦を続けて、連合軍との戦いを辞めようとしないのだ。
しかも天皇は、スイスに逃れているという。一体日本人は何のために、そこまで戦いを続けるのか。それはアインシュタイン博士に言わせると、『自由と勇気とプライド』のためなのだそうだ・・・
まるでアラブ系の自爆テロ集団や北朝鮮のようではないか。おそらく平和ボケした、現在の日本人達に対する痛烈な皮肉なのだろう。
ところでこの辺りから、やっとこの世界のバックグラウンドが見え始め、この小説の行く末が気になり出すのだ。そして美人将校のマツザワ少尉の登場や、その家族達の生活や慣習を知るうちに、一瞬なんだか懐かしく、心良い気分になってしまった。
その後「アンダーグラウンド」に住む世界的ミュージシャンであるワカマツのコンサートが、オールドトーキョーで開催されることになり、小田桐は護衛兵とともに「アンダーグラウンド」を出発する。これは小田桐を元の世界に戻すための旅でもあったのだが・・・
・・・・・
そしてまた100頁以上の暴動と戦闘が、ラストまでいやと言うほどしつこく続くのである。せっかく新たなる展開に、心を弾ませた僕が甘かった。もう勘弁してくれと、祈るような気持ちで、やっとこの小説を読み終わったときは、精魂尽き果てて、くたくたになってしまった。
著者の強烈な信念と、チャレンジ精神には脱帽するが、もうこんな実験小説にはつき合いたくない。
ところが巻末の解説文で、渡部直已氏は、「作者が主人公の内面について一切説明せずに、ひたすら戦闘場面にのみ直面させられ続ける状況」を次のように語り、この作品を絶賛している。
『すなわち、主人公の決定的な改心(コンバート)を、戦闘描写(コンバット)の異様な持続そのもののなかから引きだそうとすること』
・・・さすがにプロの評論家は、するどい視点と臭覚と文体を駆使して、ゼニのとれるレビューを創り上げるものだと感心してしまった。
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コメント
決して村上龍の作品が嫌いなわけではありません『共生虫』は、素晴らしかったですよ。
投稿: ケント | 2006年3月15日 (水) 21時31分
読者Aさん>コメントありがとう
半島を出よは途中で投げました。(苦笑)
投稿: ケント | 2006年3月15日 (水) 21時11分
始めまして。
……駄目でしたか。
村上龍の作品は読んだ後くたくたに疲れるものが多いですよね。
「半島を出よ」なんて、もっと疲れますよ(笑)。
また村上龍を読もうかなと思ったら「69」あたりを試してみてください。
投稿: 読者A | 2006年3月15日 (水) 20時59分