著者:白石一文
ニコラ・ド・スタールが描いた『道』という一枚の絵画をじっと見つめていると、時間を超越して過去や未来にタイムリープしてしまい、そこで人生をやり直そうというお話である。だからと言ってSFという雰囲気ではなく、人間が生きる真理のようなものを描きたかったのだろうか。
本書の主人公である唐沢功一郎は、大手食品メーカーで品質管理を統括する優秀な男である。だが残念なことに3年前に愛娘の美雨を事故で亡くし、それ以来、精神を病み自殺未遂を繰り返す妻を介抱しながら暮らしている。
そんな苦しい世界から抜け出したくなった功一郎は、ある方法を使って美雨が事故に遭う直前に戻り、彼女を救出することを決心する。その方法とは、彼が高校受験に失敗した時に、過去に戻り受験をやり直したときと同じやり方であり、『道』という絵画を使って過去に戻ることであった。
このあたりまでは、タイムマシン代わりに絵画を使うということ以外は、タイムトラベルものによくある展開なのだが、実はタイムトラベルというよりは、時間を遡るパラレルワールドの世界と言ったほうがよいのかもしれない。彼は3回タイムリープを繰り返すのだが、移動するたびに別の世界へ跳んでしまうのである。従って前の世界では東日本大震災が起こったのに、今の世界ではまだ起きていないとか、またそれほど重大な出来事ではなくとも、微妙に変化しているようであった。
また前の世界に存在していた自分自身が今の世界に跳んできたのではなく、今の世界に住む自分の肉体の中に、前の世界の自分の意識だけが乗り移ったのだ。では前の世界の自分の肉体はどうなってしまったのだろうか。普通に考えれば、前の世界で絵画の前で死んでいることになるのだが、結論は異なっていた。さらにでは今の世界の自分の意識は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。これらはラストに全て解明されるのだが、分かったような分からないような、それでいて実に見事な論理で締めくくっている。
もしあのとき、ああすればよかったと考えてもどうにもならないが、万一その願いが叶ったとしても、結局は何かほかの運命に巻き込まれてしまうのである。それに人の運命なんていうものは、どうにかなるとかならないとかという類のものではなく、たまたま選んだ道の一つでしかない。それが我々の住む世界の心理なのかもしれない。
さて「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」とは、フランスの画家ポール・ゴーギャンの有名な絵画のタイトルであるが、本作にもなんとなくそんな臭いが漂っていると感じたのは私の勝手な思い込みなのだろうか……。
評:蔵研人
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